2025年7月27日日曜日

佐渡金銀山

 佐渡旅行で金山を見学した。佐渡金銀山は新第三紀火山岩とその砕屑岩類を母岩とする浅熱水性裂罅充填石英脈鉱床である。鉱床は規模生産量とも抜群であり、徳川幕府を財政的に支えていた。鉱山は南から西川砂金山、鶴子銀山、相川金銀山とありこの順に開発される。平安時代から記録は残る西川砂金山では山の川沿いの堆積物を大量に流して砂金として採集する方法がとられた。その後室町時代末に鶴子銀山が発見され、ここでは山の地表に露出する鉱石をその後坑道掘り(狸穴)で鉱石を採集した。鶴子銀山の鉱脈の延長を探して安土桃山時代に見つけられたのが相川金銀山で最大の金銀山である。徳川幕府が直轄地として鉱山開発と金銀生産が行われる。坑道が深くなるにしたがって地下水の問題が生じ、これに対して排水装置や排水トンネルなどが工夫され産出量を維持した。道遊の割戸(写真)は鉱脈が多数濃集場所を江戸時代に露天掘りに近い状態で採掘した跡であり鉱山のシンボルとなっている。明治に入ると西洋技術の導入により近代的な鉱山運営がなされ金採掘のピークは昭和初期である。その後資源枯渇により1989年に閉山となる。



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