ワンダーフォーゲル部で尾瀬を歩いてきた。その地史をまとめる。
尾瀬の基盤は桧枝岐層群(中生代?)、花崗岩(白亜紀)とそれに貫入し隆起した蛇紋岩体からなる。蛇紋岩体は隆起し至仏山になる。
鮮新世に火山活動が始まる。この結果、景鶴山や檜高山がつくられた。景鶴山はその後の浸食により山頂部は岩峰になっている。次に更新世になると、南側で火山活動がおこります。これによりアヤメ平、ススヶ峰、皿伏山がつくられました。これらをつくった溶岩は粘性が低い溶岩です。
最後に活動した火山が燧ケ岳で、30数万年(更新世の後期)からの活動だとされます。この活動により平坦な半盆地状になっていた只見川の源流が溶岩によってせき止められ、湖が出来、それが埋め立てられ、さらに泥炭層が形成されお花畑が有名な尾瀬ヶ原完成したと考えられる。その泥炭層の厚さは5m弱だそうである。また尾瀬ヶ原の北に三条の滝があり尾瀬ヶ原と尾瀬沼のすべての水が流れ出ているが、これより上流が燧ケ岳の溶岩(?)、下流が花崗岩で風化しやすい花崗岩が削れて滝をつくっているようだ。その後燧ケ岳からの溶岩流によりせき止め湖がつくられこれが尾瀬沼になった。
2017年8月5日土曜日
2017年8月1日火曜日
列島誕生 ジオ・ジャパン
「NHKスペシャル シリーズ 列島誕生 ジオ・ジャパン」をみる。最新の日本列島形成に関する成果を一般向けにまとめたもの。話は4つのイベントからなる。
1つ目は、大陸からの日本の分離。新第三紀初めに大陸からの分離がおこる。古地磁気のデータを紹介する。原因としては太平洋プレートの後退を上げていた。かつては中央海嶺の沈み込みを原因としていたようだがいまは否定されているのだろうか?
2つ目は連続する島の衝突。太平洋プレートがフィリピン海プレートに沈み込み生じたかつての伊豆諸島が次々に列島に衝突し東日本と西日本がつながったとされる。ぶつかった陸地は、御坂山地、丹沢山地、伊豆半島と日本に付加した。
3つ目は西南日本の外帯における酸性火山活動。紀伊半島を中心に取り上げる。フィリピン海プレートの拡大による大平様プレートとの境界の東進のため新しく熱い海洋プレートが沈み込んだことによって起こったとされる。これによって西南日本が隆起したとある。
4つ目は日本海溝の西進とフィリピン海プレートの方向の変化。新第三紀の末に、太平洋プレートが西に移動し東北日本が山地を形成し、またそれにともなって北に移動していたフィリピン海プレートが北北西に移動するようになる。
一つ一つは面白いが、背景になった事実をもう少し吟味したい。
1つ目は、大陸からの日本の分離。新第三紀初めに大陸からの分離がおこる。古地磁気のデータを紹介する。原因としては太平洋プレートの後退を上げていた。かつては中央海嶺の沈み込みを原因としていたようだがいまは否定されているのだろうか?
2つ目は連続する島の衝突。太平洋プレートがフィリピン海プレートに沈み込み生じたかつての伊豆諸島が次々に列島に衝突し東日本と西日本がつながったとされる。ぶつかった陸地は、御坂山地、丹沢山地、伊豆半島と日本に付加した。
3つ目は西南日本の外帯における酸性火山活動。紀伊半島を中心に取り上げる。フィリピン海プレートの拡大による大平様プレートとの境界の東進のため新しく熱い海洋プレートが沈み込んだことによって起こったとされる。これによって西南日本が隆起したとある。
4つ目は日本海溝の西進とフィリピン海プレートの方向の変化。新第三紀の末に、太平洋プレートが西に移動し東北日本が山地を形成し、またそれにともなって北に移動していたフィリピン海プレートが北北西に移動するようになる。
一つ一つは面白いが、背景になった事実をもう少し吟味したい。
2017年7月24日月曜日
観音崎を歩く
3月末のサンプル採集に続いて、調査を目的に観音崎を歩いた。観音崎大橋から観音崎の北までを約2時間かけて簡単な調査とサン プル採集をする。観音崎大橋のではやや石灰質の泥岩が主体の逗子層がみられる。博物館の下からはスコリアの礫岩や砂岩そして泥岩からなる地層が 現れる、ここからは池子層になる。ときどきより石灰質な岩石をはさむ、 ここからは3月の資料からは放散虫が出ている。さらに、同時性の巨礫が混じる層準があり、 次に観音崎の名前の由来になった海食洞がみられる。終点ではスコリアの礫岩や砂岩、 泥岩からなりまた石灰質の粗粒砂岩をはさんでいる。
逗子層と池子層がはっきり区別できるコースである。 またこのあと放散虫を出してみるが、 うまくいくと課題研究のフィールドに使えるかもしれない。
2017年7月10日月曜日
線状降水帯
NHKの「九州北部 記録的豪雨はなぜ」を見た。 9日現在18人の死者と20人の行方不明者が出ている。
災害及び被害拡大の原因は梅雨末期で九州に停滞する梅雨前線に向 かって南からの湿った空気が多量に流れ込んだこととこれが偏西風 とぶつかったところにちょうど背振山地(最高点1054m) があり、 東側のに線状の降水帯が発生停滞し大量の雨が降ったことが第一で ある。また数十年に1度の雨のため各地で斜面崩壊が起こり、 植林されていた杉が流れ下り、 橋等で水流を詰まらせ洪水を発生したことも要因のひとつである。
被害を少なくした点の一つとして、集落で自主防災マップの作製、 これのもとずく避難があったことが挙げられていた。
また、最近地球温暖化の影響で海水面温度の上昇が顕著であり、 日本の北の地域でも似た豪雨が発生しているとのことである。
2017年7月2日日曜日
比企丘陵を歩く
最近比企丘陵を歩いている。具体的には市野川とその北の二ノ宮山周辺です。
市野川では松山城跡、吉見百穴から北西に流路をかえるまでである。見られるのは中新統の中部から下部の地層で、中部層では泥質の凝灰岩、凝灰岩、砂泥互層などがみられ、下部層では凝灰岩、凝灰角礫岩、泥岩がみられる。また時期的に藪の時期で観察にはやや適さなかった。
二ノ宮山周辺では礫岩層、凝灰岩層、泥岩層をみた。また山頂にある展望台は360度の展望があり、空気の澄んだ日に再度登って写真をとりたいと思った。
かつて訪れた荒川の川本ではこれらの上位に当たる中新統の上部を観たので、これで一応全体の岩相をみたことになる。
昨年何遍か歩いた隣の岩殿丘陵に比べると全体的にはやや浅い堆積環境を連想させる。
市野川では松山城跡、吉見百穴から北西に流路をかえるまでである。見られるのは中新統の中部から下部の地層で、中部層では泥質の凝灰岩、凝灰岩、砂泥互層などがみられ、下部層では凝灰岩、凝灰角礫岩、泥岩がみられる。また時期的に藪の時期で観察にはやや適さなかった。
二ノ宮山周辺では礫岩層、凝灰岩層、泥岩層をみた。また山頂にある展望台は360度の展望があり、空気の澄んだ日に再度登って写真をとりたいと思った。
かつて訪れた荒川の川本ではこれらの上位に当たる中新統の上部を観たので、これで一応全体の岩相をみたことになる。
昨年何遍か歩いた隣の岩殿丘陵に比べると全体的にはやや浅い堆積環境を連想させる。
2017年5月28日日曜日
理数科課題研究
本校の理数科2年の課題研究で城ケ島の放散虫化石を調べることにしている。その関係で試料採集に城ケ島を生徒4人と訪れた。当日は南からの風のやや強いが吹いていたが晴天で心地よく採集と見学とができた。初めに城ケ島の北の三崎層から複数の放散虫試料を採集し周囲を調べた。生徒に石灰質の岩石を確認させるためサンポール(塩酸)を小さな入れ物に入れ持っていき、たらして泡が出るかで確認し試料採集をした。次に城ケ島公園に行き周囲の展望を楽しむ。雪を残した富士山や伊豆大島が望まれる。食事を済ませた後、地質見学を行う。馬の背洞門、ポットホール、SO凝灰岩、海食洞、火炎構造などを見学する。順調すぎる進行で予定より早かったが14時のバスで帰路に就いた。
2017年5月24日水曜日
阿熊川
30度を超える暑さの中、放散虫化石の試料を探しに、秩父盆地の阿熊川を歩いた。終点から不整合近辺まで簡易調査をしながら歩き、3ヶ所ほど泥岩サンプルを採集した。何れも泥がちな細粒砂岩と泥岩の互層で泥岩部のサンプルである。
過酸化水素で処理をしたが結論から言うとどうも放散虫化石はいないようである。いままで埼玉県内の新生代の地層の放散虫化石を複数調べた。具体的には古い方から、秩父盆地、岩殿丘陵、狭山丘陵、東京層である。岩殿丘陵では放散虫化石が多数出るのだが、あとが出てくれない。地学の仲間との議論では陸に近い浅い海からは難しいとのことで、狭山丘陵と東京層がこれに当たる。また、秩父盆地もやや深そうな乱泥流堆積物の泥を対象に複数調べたが出てくれない。やや遠洋のゆっくりとたまる泥でないと出てくれないのかもしれない。
過酸化水素で処理をしたが結論から言うとどうも放散虫化石はいないようである。いままで埼玉県内の新生代の地層の放散虫化石を複数調べた。具体的には古い方から、秩父盆地、岩殿丘陵、狭山丘陵、東京層である。岩殿丘陵では放散虫化石が多数出るのだが、あとが出てくれない。地学の仲間との議論では陸に近い浅い海からは難しいとのことで、狭山丘陵と東京層がこれに当たる。また、秩父盆地もやや深そうな乱泥流堆積物の泥を対象に複数調べたが出てくれない。やや遠洋のゆっくりとたまる泥でないと出てくれないのかもしれない。
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