デジタル採点が高校に導入され、採点時間の短縮と採点ミスの減少の恩恵を感じでいる。具体的にはここ数年、定期試験の採点ソフトとして、デジらく、次に百問繚乱を使った。両者の違いをまとめる。デジらくは指定の用紙を使わなければならない、これは答案ごとに誰のものかをマークして認識させるためと、四隅の四角いマークによって解答欄位置を確定させるためであるが、この調整がやや面倒である。生徒のマークミスの訂正や印刷の際に原稿にはあったマークが消えてしまうなどである(印刷機とプリンターの余白の違い)。百問繚乱は普通の紙に作った解答用紙が使え、順番に並べた解答用紙をスキャンしこれを名標にエクセルの貼り付けの様に関連付けする。ここでミスのないよう注意が必要。解答用紙印刷やスキャンがあまりずれていなければ解答欄の位置認識は問題はない。部分点設定、自動採点等の違いはあるが用紙の扱いが一番の違いで、百問繚乱の方が最初のハードルが低い。
2025年7月11日金曜日
2025年7月6日日曜日
ケンコーSE-AZ5
個人の望遠鏡として長らくem1s赤道儀にfc76鏡筒の組み合わせを使ってきた。前の職場を離れる際に生徒に使わせていたem1sを残し、fc76のみ自宅に持って来た。鏡筒だけでは使えないので一番安い台を探して選んだのがケンコーSE-AZ5経緯儀である。ezgtiと同じ三脚が付いていて、これはやや華奢であるが観望にはまあ使える。問題のケンコーSE-AZ5だがフリーストップで微動がついていてこれもまあ使える。細かいことを言うと水平の微動に若干遊びがありハンドルの反応がいまいちである。テストとして上弦の月をみた、直線的なアルプス谷が印象的だった。簡便な経緯台なのでちょくちょく使えそうである。
2025年7月5日土曜日
「日本海 その深層で起こっていること」
「日本海 その深層で起こっていること」蒲生俊敬著(ブルーバックス)を読む。海洋化学者が日本海の科学的な姿をまとめたもの。同著者の「インド洋」がよかったので手に取った。最深部が3800mの他の海域との接続が少ない海、日本海盆・大和海盆・大和堆・隠岐堆・対馬海盆、海流の姿、底層水が太平洋などに比べ温度が低く溶存酸素量が多い(日本海固有水)、北西部からの冷たく重い海水の沈み込み、100-200年周期の熱塩循環、同じような規模の黒海との違い、氷期間氷期の繰り返しの中での日本海環境の変化(死の海と豊穣の海)、地球温暖化と日本海の変化(表層水温上昇、底層水の溶存酸素量減少とph上昇)、カナリアの警告を読み取らなければならない。
2025年6月30日月曜日
「虹の鳥」
「虹の鳥」目取真俊著(影書房)を読む。沖縄の問題を語る目取真俊の代表作との評価のある作品。このような激しい暴力描写のある作品を読むのは初めてである。人間性の全くない比嘉にカツヤが中学生から、高校中退、社会人となるなか暴力で支配されていく様子。比嘉に指示されるまま、覚せい剤?で廃人にされつつある少女(マユ)を利用した美人局。比嘉からカツヤなどがうける暴力、美人局の客に加えられるカツヤの暴力、同業者の男女に加えられる比嘉とカツヤの暴力と性暴力などが詳細に描写される。沖縄の米軍問題を背景にゆがんだ社会(米軍に様々な権利が蹂躙されるとともに基地の土地使用料や米軍が落とす金で潤う社会)が背景にあり、そのなかでやくざの末端のチンピラの活動が描かれていく。あまりに詳細な暴力表現に途中読むのが止まってしまった。最後に比嘉の暴力の中、アクシデントで殺害することになり、マユとあてもなく逃げるカツヤ、救いのない結末である。沖縄の社会の問題を描いているのだが、人に勧めるのが難しい本である。
2025年6月21日土曜日
「インド洋」
「インド洋 日本の気候を支配する謎の大海」蒲生俊敬著(ブルーバックス)を読む。海洋学者が書いたインド洋についての本。知らないことが多く得るところが非常に多かった。インド洋の地形、中央海嶺、ロドリゲス三重点、スンダ海溝、ディアマンティナ断裂帯、ホットスポット(東経90度海嶺、チャゴス・ラディヴ海嶺)、海水の流れ、海底温泉を探す、モンスーン、ダイポールモード現象、歴史的火山噴火、熱水口での生物群集、シーラカンスやジュゴン、アデン湾と紅海調査。地学を教える基礎の文献となる本である。
2025年6月7日土曜日
コジュケイ
盛りの花菖蒲を見ようと 智光山公園を歩いていて、コジュケイに出会う。普段は「ちょっとこい」と大きな声で鳴くので気がつくのだが、珍しく足元の雑草の中で歩くのを見つけて写真に収めた。25cmほどのキジの仲間で戦前に中国のものを狩猟用に放鳥したのが繁殖している。ここではまたガビチョウの大きな声がそこかしこから聞こえまた警戒心が少ないのか姿も確認したが、これも愛玩用に中国から輸入したものが野外に逃げて増えたものである。
2025年5月25日日曜日
「海はどうしてできたのか」他
かつて「フォッサマグナ」を読み、知的に面白かったので同じ作者の本を手に取った。
「海はどうしてできたのか」藤岡換太郎著(ブルーバックス)。高校生向けに書かれた読み物、専門家が書いているのできちっとしているのだが深さにおいてやや食い足りない。新生代のモンスーンの発生、海流の変化(南極還流の成立、海洋深層水の成立、黒潮の成立、パナマ地峡の成立)や(今後)海が消えるシナリオなどは興味深かった。
次に「川はどうしてできるのか」藤岡換太郎著(ブルーバックス)。川の博物学の本?このような視点で川についてまとめたものは初めて読む。正直面白く以下の内容が印象に残る、構造的に規定される大河の流路、ヒマラヤを乗り越える川、河川争奪、海底を流れる川、多摩川を上流から下流まで訪ねる、天竜川やアマゾン川の昔を考える。
(6/20に追加)引き続いて、「山はどうしてできるのか」藤岡換太郎著(ブルーバックス)を読む。プレートテクトニクス入門という位置づけの本。普段行っている自身の授業を強化する内容でありありがたかった。知っていることがほとんどであったが、研究者ならではで細かい知識が網羅されていて得ることが多かった。ただ若干ミスや説明不足が目立ったのが気になった。
2025年5月11日日曜日
「日中15年戦争」
「日中15年戦争(上下)」黒羽清隆著(教育社歴史新書)を読む。先の大戦はアメリカだけに敗れたのではなく中国にも敗れたという視点の大切さを指摘。自分の中では一つ一つがばらばらであったものが一連の流れの中で理解できる。(上巻)山東出兵、張作霖爆発事件、いかに陸軍が不法行為を繰り返しそれを政府が追認したか。満州国の建国、上海事変、国際連合脱退、華北への侵攻、泥沼に入り込む日本。大長征、国共合作、整う対日本の体制。(下巻)汪兆銘を使った傀儡政権、持久戦に持ち込む中国軍との戦いの実際、戦時経済体制へ、国家予算・軍事予算増大、民需予算の減少。中国共産党支配地域での様子、ゾルゲ事件の尾崎秀実の中国観、3国同盟はなんだのか、満州権益を守ろうとするために対米戦争に突入。ポツダム宣言受諾の様子。
2025年5月9日金曜日
さいかち窪
2025年5月4日日曜日
港区芝を歩く
連休に港区芝を歩いた。はじめに旧芝離宮庭園に行く。沖積低地に作られた庭園で昔は海岸沿いあった汐入庭園であったが現在は埋め立て地とビルに囲まれている。次に寛永寺に行く。徳川家の菩提寺であったが第二次世界大戦の際の空襲で門を除いて焼けてしまい、さらに最初の東京オリンピックの際、ホテル建設のため敷地が小さくなり、徳川家の墓所も小さく集められいる。ここは低地からわずか上がった段丘面(?武蔵野面)上である。そのあと愛宕神社を訪ねる。曲垣平九郎が馬で駆け上がった急階段が有名で、傾斜40度86段である。ここは26mで下末吉面(淀橋台)にあたる。
2025年4月24日木曜日
「なぜ日本は没落するか」
「なぜ日本は没落するか」(岩波書店)森嶋通夫著を読む。ノーベル経済学賞に日本人で一番近かったとされる経済学者が 20世紀末に日本の没落を予想する。以下その内容をまとめる。戦前の教育と戦後の教育の不整合、戦後の使命感のないエリート、日本陸軍の思想が戦前戦後の日本社会の構造にいかに影響したか、高度経済成長のとにきのみ有効だった終身雇用と年功序列、詰め込み教育から考える教育への転換の必要性、国の行き詰まりを解決するには東アジアの連係が必要、そのために必要なこと、太平洋戦争からの日本の総括、東條英機、昭和天皇はどんな行動をとったか、不景気になるとでてくる右側の喧伝、歴史の事実を学ぶ重要性。日本に関する深い考察がなされ、そういうことだったかと感じることが多かった。
2025年4月14日月曜日
宇宙の距離測定の方法
宇宙研究の歴史は各天体の距離測定の歴史でもある。ここで主な宇宙の距離測定の方法をまとめる。
地球の大きさ:エラトステネスの方法,半径6400km
月の大きさ:月食の時の地球の影の1/4,直径3200km
月までの距離:月の視直径が0.5度である.38万km
太陽までの距離:半月の時の地球から見た月と太陽の離角(89.85度),1.5億km
近傍の恒星:年周視差
やや遠くの恒星:系列星の絶対等級と見掛けの等級の比較
球状星団と近傍の銀河:脈動変光星の変更周期と見かけの等級
やや遠くの銀河:超新星爆発の絶対光度と見かけの等級
遠くの銀河:赤方偏移量
2025年4月11日金曜日
和光樹林公園
4月から和光国際高校に勤めることになった。地元の大地の話題を取り入れるために、職場のすぐそばの和光樹林公園を歩いた。
ここは武蔵野台地の一部の朝霞台で、その台地上の小河川の谷中川の源流部に当たる。河川はきれい護岸されているが、当日は水は流れてなかった。また、写真の少し上流には池があった。樹林公園は散策に心地よい場所で武蔵野面にしてはやや起伏がある感じがする。ピークを過ぎた桜がきれいであった。
2025年4月2日水曜日
ミャンマーの地震
3月28日に発生したミャンマー中部を震源とするマグニチュード7.7の大地震について、4月2日の段階でミャンマーで実権を握る軍はこれまでに2886人が死亡し、4639人がけがをしたほか、373人の行方がわからなくなっているとしています。
国土地理院によるとミャンマーの地震(マグニチュード=M7.7)を引き起こしたザガイン断層が震源に近いマンダレーの北方から首都ネピドーの南方まで、長さ400キロ以上にわたって水平方向にずれたと発表した。南北に延びる断層の西側が北へ、東側が南へずれる「横ずれ断層」で、最大のずれ幅はネピドー北方の6メートル程度だった。
ザガイン断層は、ミャンマー中央部を南北に走る巨大な断層である。インドプレートとスンダプレートの間に分布する主に大陸性の右横ずれ型トランスフォーム断層である。ヒマヤラ山脈前縁に沿った活発な大陸衝突帯とアンダマン海の発散型境界の間にあって両者を結んでいる。
2025年2月23日日曜日
「毒になる親」
「毒になる親 TOXIC PARENTS 一生苦しむ子供」スーザン・フォワード著 玉置悟訳 講談社+α文庫 を読む。
米カウンセラーによる不健全な親により精神的にいびつになった子供達のレポート。義務を果たさない、コントロールする、アルコール中毒、物理的or言葉による暴力、近親相姦などのより子供たちはどう育ってしまったか。精神的にどのような状態になるか。次にそれを克服するためにはどう認識し親と対峙していくかがまとめられている。詳細に分析されているとともに重い話である。人が成長していく過程で健全な親子関係の必要性を認識させてくれる。
2025年2月3日月曜日
「蟹工船」
「蟹工船」小林多喜二著を青空文庫で読む。戦前のオホーツク海での蟹工船(蟹をとり、加工し缶詰を作る)を素材にした小説。過酷な労働と理不尽な労務管理のもとでの最底辺の人びとの生活を描く。その臭いや汚れがこれでもかと表現される。利益のため沈没船を無視、働かない・反抗的な者に対するリンチ、当時の露骨な資本主義下での搾取される捨てられる人びと、その中に芽生えた連帯、そして失敗、本文では自分たちの権利獲得までは描かれていない。
前に小樽を訪ねたことがある。坂の多い街を歩き歴史的な建造物や観光化された運河を見たが、小説とはいえこんな側面もあったのを再認識。またドライブで小樽の高台に行ったときの多喜二のモニュメントを見た。2025年1月19日日曜日
「北朝鮮へのエクソダス」
「帰還事業」の影をたどる 北朝鮮へのエクソダス,テッサ・モーリス‐スズキ著,田代泰子訳(朝日新聞社)を読む。
主に1959~67年に9万強の人々が北朝鮮の渡った帰国事業がいかに行われたのかを調べたレポート。赤十字やアメリカなどに残され、開示された文章を丁寧に分析してその全体像を明らかにする。植民地をもっている国が負けそれを手放す場合、自国にいる旧植民地の人には自国の国籍を与えるのが通常であるが、日本の場合朝鮮人、台湾人から日本国籍を取り合上げたことが問題の基礎にある。この事業の発端は、4.3の済州島での虐殺のさいに日本に逃げてきた人たちが北朝鮮へ行くことを希望したことにはじまる。在日の朝鮮人は多くが南朝鮮から来ておりこの人たちが帰還事業で北朝鮮に行ったことになる。
この事業は日本政府、北朝鮮、韓国(李承晩)、アメリカ政府、ソビエト、赤十字のそれぞれのことなる思惑がいかにぶつかり合って成立する。日本の場合政府が政治・治安(貧困にああえぐ者たちの中には共産主義活動に走るものも多数いた)・経済(社会福祉の重み)上の懸念と偏見から彼らを排除したいという考えからである。北朝鮮は当初乗り気がなかったが、朝鮮戦争後の人手不足と対外的に人道をアッピールできること、日本・韓国に対する楔の考えがあった。韓国は北朝鮮への帰還事業には強烈に反対していたが、赤十字が関与する人道的な行事に反対できなかった。アメリカは日本の左右いずれもが帰国事業に賛成でかつ安保改正をひかえていたので賛成した。ソビエトは台頭する中国に対して北朝鮮への影響力を高める狙いがあった。赤十字本部は当初人道支援という題目で動かされたが、その実態を知るにしたがって及び腰になる状況になり、また赤十字の中での日本赤十字および朝鮮赤十字の本部とは異なるかんがえのもと行動する。
最後に帰還者の苦労が語られている。北朝鮮に余裕があった当初はそれなりの待遇があったが、その後多くのものが苦難な状況に追い込まれる。そのなかから脱北をする帰還者。複雑な戦後政治の中で行われた帰還事業を実態を教えてくれる本であった。
2025年1月7日火曜日
弥彦神社
年始に1泊の観光旅行で新潟を訪ねた。数か所見学したが、弥彦神社について簡単にまとめる。越後国一宮で由緒のある神社であるが1956年の群集事故としての弥彦神社事件で有名である。この時期の新潟らしい冷たい小雨の中一の鳥居、二の鳥居と進む、ここから先は一方通行の指示、石段を上がり随神門をとおり拝殿まですすむ。このあと車清祓所をとおり、火の玉石、相撲場をみて駐車場にもどる。時間があったのでお土産屋で甘酒を飲む。良い時期と晴天であったらロープウェイで山頂まで行きたかった。
1日目 越後湯沢→西福寺→寺泊→新潟
2日目 →弥彦神社→玉川酒造→越後湯沢