五島列島には「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録された教会群があります。今回の旅行では複数の教会を見学した。まずその歴史からまとめる。秀吉、家康によるキリスト教禁止によって信者は棄教か隠れて信仰をまもるかの選択を迫られ、五島のキリスト教信者は隠れて信仰をまもることになった。明治になり、1865年の大浦天主堂での「信徒発見」をきっかけに、五島でもキリシタンたちが次々と信仰を表明した。しかし、明治政府は組織を一掃するため、弾圧を始めた。五島列島では摘発や拷問によって多くのものが亡くなったが、これが五島崩れとよばれる出来事である。その後外国からの強い抗議により、信仰の自由が許されることになる。これを機に五島各地では祈りの場である教会建設が行われるようになった。信徒は貧しい中だが、さらに生活を切り詰め教会建設を行った。これが世界文化遺産として登録されることになる。ただ五島列島も他の地方と同様に人口減少に見舞われており、かつて数十家族ど信者がいた教会も数家族によって維持されてい教会もおおいとのことである。(写真は頭ヶ島天主堂と井持浦教会)
2026年7月27日月曜日
五島列島を訪れる
7月下旬に五島列島を観光旅行で訪ねた。その特徴的な地質をまとめる。五島列島は新第三紀の五島層群を主体としてここに貫入する花崗岩や火山からなる。特徴的なのはここが日本海拡大の際の「ひんじ」のような部分にあたり、拡大の前黄河や遼河の末端の淡水の堆積盆であった。ここで河川や淡水湖の環境でたまったものが五島層群(写真上:中通島の蛤浜)である。淡水に生息する貝化石の化石産地もある。またその後の日本海拡大、続く沖縄トラフの拡大のなか張力が働き、花崗岩の貫入、正断層による複数の島の成立、火山活動(写真下:鬼岳)がおこり現在の五島列島ができた。
2026年2月28日土曜日
県立歴史と民族の博物館
大宮公園にある「県立歴史と民族の博物館」を初めて訪ねる.石器時代から現代?までの県内の文物を展示して歴史を解説する.歴史時代の彫刻,絵画,文字資料が多数展示され、このようなものから歴史が組み立てられるのかと感じた.また関東の中世特有の板碑が多数展示されているのは圧巻であった.見学後に公園を散策する、明治に最初に作られた県立公園で正岡子規をはじめ著名人が訪れたそうである.
2025年12月20日土曜日
高橋是清邸
江戸東京たてもの園を訪ねる。東京都の歴史的建物をまとめて野外展示する施設で、小金井公園の中にある。旧光華殿、旧自証院霊屋、三井八郎右衞門邸、高橋是清邸などを見て歩く。三井邸は三井財閥本家の邸宅で細部まで贅を凝らしたつくりに感心した。また高橋是清邸は226事件で高橋が暗殺された2階部分が見学できる。「不忘無」の掛け軸と孫娘と撮った写真が展示されていた。
2025年11月15日土曜日
葛西臨海公園
県民の日に葛西臨海公園周辺を歩いた。最初に水族園を訪ねたが、複数の幼稚園生と小学校低学年の遠足に重なりうるさかった、ただ職業柄お互いさまと感じがしています。マグロやサメが回遊する水槽とペンギンのプールは見ものである。そのあと隣接する鳥類園を散策する。東京湾にかつてあった湿地を人工的に作ったものでハシビロガモやカワセミをみながら秋の温かい日差しのもと心地よい散策をした。
2025年10月13日月曜日
旧古河邸
都心の歴史的な洋館のひとつの旧古河邸および庭園を訪ねる.鉱業で財をなした古河財閥当主の本宅および迎賓館にあたる.戦後の財閥解体で最終的に国の所有となり一般公開されている.上野台地の西の段丘崖にジョサイア・コンドルによって建てた洋館で,上野台地の段丘崖上に邸宅,斜面にバラが見事な西洋式庭園と滝,崖下に回遊式日本庭園が配置される.赤っぽい安山岩で造られた豪奢な建物は一階がオフィシャルで,二階がプライベートな空間になっている.
2025年5月4日日曜日
港区芝を歩く
連休に港区芝を歩いた。はじめに旧芝離宮庭園に行く。沖積低地に作られた庭園で昔は海岸沿いあった汐入庭園であったが現在は埋め立て地とビルに囲まれている。次に寛永寺に行く。徳川家の菩提寺であったが第二次世界大戦の際の空襲で門を除いて焼けてしまい、さらに最初の東京オリンピックの際、ホテル建設のため敷地が小さくなり、徳川家の墓所も小さく集められいる。ここは低地からわずか上がった段丘面(?武蔵野面)上である。そのあと愛宕神社を訪ねる。曲垣平九郎が馬で駆け上がった急階段が有名で、傾斜40度86段である。ここは26mで下末吉面(淀橋台)にあたる。
2025年1月7日火曜日
弥彦神社
年始に1泊の観光旅行で新潟を訪ねた。数か所見学したが、弥彦神社について簡単にまとめる。越後国一宮で由緒のある神社であるが1956年の群集事故としての弥彦神社事件で有名である。この時期の新潟らしい冷たい小雨の中一の鳥居、二の鳥居と進む、ここから先は一方通行の指示、石段を上がり随神門をとおり拝殿まですすむ。このあと車清祓所をとおり、火の玉石、相撲場をみて駐車場にもどる。時間があったのでお土産屋で甘酒を飲む。良い時期と晴天であったらロープウェイで山頂まで行きたかった。
1日目 越後湯沢→西福寺→寺泊→新潟
2日目 →弥彦神社→玉川酒造→越後湯沢
2024年12月17日火曜日
上野公園
時間を作って都心の公園を歩いているが、今回は上野公園の散策した。ここは徳川家の菩提寺のひとつである寛永寺の敷地だったが、大政奉還のさいこれに反対する彰義隊と薩長連合軍との戦争で焼き払われ、そのあと公園として生まれ変わった場所です。上野駅から初めに西郷隆盛像まで歩く、続いて彰義隊の慰霊碑、清水観音堂、顔のみ残る大仏を見る。次に見学したのは上野東照宮で、左甚五郎の龍の彫り物などあり、見栄えがした。またすぐそばに五重の塔がある。精養軒で昼食をとった後、博物館敷地にある移築された大名屋敷の唐門を見学し、さらに寛永寺に到着。本堂は川越の喜多院からの移築だそうである。本堂の左右にある竹の飾りや将軍の墓の前の唐門をみて、鶯谷駅に至る。
2023年1月19日木曜日
伊豆東部火山群
年末に城ヶ崎海岸と大室山を久しぶりに訪ねた。世界ジオパークに指定されたために案内板が充実しており、専門の人間としては理解も進むし、地学の普及という意味で喜ばしく思う。城ヶ崎海岸は施設設備もよくなっている、大室山からは天気も良くぐるりと360度の展望が楽しめた。また双方ともアジア系の外国の方も結構目立っていた。以下周辺の地質についてまとめる。
伊豆東部火山群の形成:100万~60万年前に本州弧へ近づいた伊豆地塊の隆起、丹沢山地の隆起浸食がおこる(上総トラフの形成)。60万~20万年前、伊豆地塊の火山活動による基盤形成とその本州弧への衝突が起こる。15万年~現在、衝突により東西に引き伸ばされ伊豆東部火山群ができる。
構成:一碧湖(10万年前)、河津七滝(登り尾南、2.5万年前)浄蓮の滝(鉢窪山、1.7万年前)、小室山(1.6万年前)大室山と城ヶ崎海岸(8000年前)などからなる。
2020年12月31日木曜日
蝋梅
年末に秩父に行く機会があり、宝登山にロープウェイで登り蝋梅を鑑賞した。前に初春に訪れて見たことがあるので2回目になる。蝋梅は中国原産の落葉低木で、12月中旬から2月にかけて、香り高い花を咲かせる貴重な存在です。山頂の花木は梅も一部咲き出していていたほかや冬桜も咲き残っていた。また、山頂からは武甲山やみのやまをバックに秩父盆地が一望された。帰りは20分ほどかけ植林された林の中の林道を下った。
2020年8月18日火曜日
2019年12月31日火曜日
広島山口旅行②-山口・萩-
幕末に毛利氏が藩庁を置いたのち、明治以降もここが政治の中心、しかし人口の少ない県庁所在地である。瑠璃光寺は大内氏によって作られた寺院で、その中に立つ五重塔は室町時代の美しく秀でた建造物とされる。
秋吉台、秋芳洞
地学的には有名な場所だが初めて訪れた。この地域の地質は古生代後期の地層(付加体)秋吉石灰岩層(秋吉帯)と呼ばれる。秋吉台はかつてはサンゴ礁であった巨大な石灰岩が露出する地域で、地上は典型的なカルスト台地であり、地下には鍾乳洞が発達している。観光で歩く部分の鍾乳洞は大規模で、延長1km、天井が高く35m以上の場所もあった。手が加えられ歩きやすくなっていて、また途中沢山の音声ガイドなどもあったが、一般のひとに理解してもらうには必要であろう。鍾乳石、石筍、石柱、フローストーン、石灰棚、ノッチ、洞内の地下河川など一通りのものが見学できる。
元乃隅神社
日本海に面した山口県の北にある個人所有の神社で神社本庁に属していない。すぐ近くには「龍宮の潮吹」と呼ばれる海食洞に打ち付ける波が霧状に立ち上がる場所がある。切り立った岩石海岸は火山岩や凝灰角礫岩からなり地質図によると漸新世のものであり、日本海拡大と関係あるのかもしれない。
萩の町
江戸時代に毛利氏の本拠地があった日本海に面した城下町。幕末から戦前にかけ多くの政財界へ人材を輩出した。時間の関係で旧武家屋敷街の菊屋横町周辺と重要文化財の菊屋家住宅を見て歩いた。藩の財政を支えた豪商の店、住戸、本陣である。りっぱな庭に籠をおく方形の石、有栖川宮熾仁親王を供した萩焼、伊藤博文からアメリカ土産の時計など珍しいものが見られた。
広島山口旅行①-宮島・岩国ー
宮島、厳島神社
平清盛により大規模に整えられた海にせり出す神社。現在大鳥居が修復中である。造営に関わった大巌寺、見下ろす台地にたつ五重塔、豊国神社を見学する。外国の方が多く今年は観光客が最も多くなったとのことことである。名物の焼き牡蠣とつくりたてのももじ饅頭を食する。この島は領家帯の白亜紀の花こう岩類からなり、海岸の砂も花崗岩の風化した砂からなる。
岩国、錦帯橋
江戸時代初期に吉川氏によってつくられた5連のアーチ橋。山の上にある岩国城・上位の士族の住居と城下町とを隔てる錦川を結ぶ橋で、有名でそばの山陽道から参勤交代の大名が見学に来たそうである。また杭州の西湖の石橋をモデルにしたといわれる。これも工事中で養生に覆われた橋の見学であった。
2019年8月15日木曜日
白神山地と岩木山-東北旅行2-
白神山地
青森県の南西部から秋田県北西部にかけて広がっている標高1,000m級の山地(山岳地帯)のことをいう。 白神山地は1993年日本で初めてのユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録された。人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布している。ブナの木は従来、椎茸栽培以外にはあまり役に立たない木であったために伐採を免れた。世界遺産地域は、中央部の核心地域と、周辺の緩衝地域に分かれ、世界遺産登録時より開発を行わず、現状のまま保護されることになっている。従って、これらの地域には遺産登録以前からあった登山道以外には道はなく、今後も恒久的に整備されない予定である。特に核心地域には道らしい道はない。暗門地域を散策する豊かなブナ林とともに空にはクマタカが旋回していた。
岩木山
青森県弘前市および西津軽郡鰺ヶ沢町に位置する円錐形の成層火山で津軽富士とも呼ばれている。山頂は三つの峰にわかれており、これらは火山活動により生じた外輪山の一部、および三峰の中心にある岩木山は鐘状型の中央火口丘である。山頂からは日本海、白神山地、八甲田山等360度の展望がある。
八幡平と八甲田山-東北旅行1-
八幡平
およそ100万年前に噴出したいくつかの火山でできていて、山頂が台地状になった成層火山だと考えられている。頂上部には9千~5千年前に発生した水蒸気爆発により多くの火口ができている。その火口に水がたまり、八幡沼やガマ沼、メガネ沼などの火口沼が形成された。アオモリトドマツやブナの原生林、針葉樹林帯が形成されている。
十和田湖
十和田火山の噴火で形成された二重カルデラ湖で最大深度327m、現在も活火山に指定されている。唯一の流出河川である奥入瀬川が太平洋に向けて流れ出ている。
奥入瀬渓流
奥入瀬川の十和田湖東岸の子ノ口から北東に約14kmにわたる奥入瀬川の上流の渓流部分。いくつもの滝が点在し、渓流沿いには車道とともに遊歩道が整備されている。
八甲田山
青森市の南側にそびえる、18の成層火山や溶岩円頂丘で構成される火山群である。明治35年に青森の歩兵第五連隊が雪中行軍の演習中に記録的な寒波に由来する吹雪に遭遇し、そのほとんどが遭難した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)が発生したことで有名。1600mに満たない山地ではあるが、青森県を東西に二分し、それぞれの気候の特徴に大きな影響を与えている。夏季は太平洋から冷たく湿った北東からの季節風「やませ」が吹き込み、青森県の太平洋側は濃霧・冷害に見舞われる。対して八甲田山の西側は優良な稲作地帯である。冬季は日本海から湿った北西の季節風が吹き、津軽地方に雪をもたらす、一方、八甲田山の東側は晴天率が高く降雪も少ない。
2019年5月2日木曜日
掬水
唐の于良史の詩からとられているようでそれは以下のものである。
春山多勝事、賞翫夜忘帰
掬水月在手、弄花香満衣
興来無遠近、欲去惜芳菲
南望鳴鐘処、楼台深翠微
禅宗により深い意味づけがなされて使われているが、単純に読むと春の野山をめでる詩に読める。
春の山は素晴らしいことが多く帰るのも忘れるほどだ、手に水をすくい月を愛でる、衣につく花の香、花の香りにどこまでも行ける、楼台の音に振り替えれば芽吹きの蒼い中に隠れている。野山を歩きたくなる詩である。
2019年3月30日土曜日
横浜を歩く
三渓園は横浜港の南の海に突き出た台地にある庭園である。庭園は標高40m弱の開析つつある下末吉台地を改変してつくられたもので、明治の生糸で財を成した原三溪がつくったものがもとになる。庭園の中央にある池の周りには日本各所から移築した歴史的な建物がある。次に中華街に向かった。ここは現在の日本大通り駅のある砂州の内側の沼が埋め立てられた横浜港の発展とともに開発された地域で、それとともに華僑が住み着き様々な歴史があったが現在、中華街として栄えている。関帝廟と媽祖廟を見学する。その派手さが中国の宗教を感じられる場所である。このあと元町を歩く、横浜港の開港に伴い山手に住み着いた外国人の需要にこたえるための商売が起源となって発展したお洒落な商業地域である。最後に山手を歩く、下末台地上の外国人が居留した発展した地域で現在でも高級住宅街のようである。外交官の家(これは移築されたもの)、カトリック山手教会、外人墓地などを見て歩く。地形的にも歴史的にも見どころの多い場所である。
2019年3月17日日曜日
福岡河岸記念館
また、明治に現在の西武新宿線が開通(本川越~国分寺)し、物資輸送がそちらに移り、そのため回漕問屋の当主が新河岸川沿いの衰退を懸念して現在の東武東上線を建設に尽力したことなどは初めて聞いた話である。
2019年1月3日木曜日
冬の石川県を訪ねる
金沢では永平寺、山代温泉、兼六園、金沢城、ひがし茶屋街などを訪ねた。永平寺は福井県の禅宗の寺、鎌倉の建長寺より小さい。山代温泉は内陸にある単純泉で、静かな温泉街である。宿では一向一揆太鼓を鑑賞した。兼六園は金沢城の背後にある台地上の庭園でちょうど雪が積もっていて雰囲気が良かった、城の水の確保の意味もある。金沢城は建物が失われていたが、現在1つ1つ復元されつつある。ひがし茶屋街は茶屋文化の遺構で芸者と旦那衆がはぐくんだ文化が興味深かった。時代としては一向一揆の戦国時代(一向一揆太鼓)、加賀百万石の文化(金箔、和菓子)、北前船の影響(茶屋の文化)、明治以降(陸軍の駐屯、経済的な沈滞)、北陸新幹線の影響がある。
能登では和倉温泉、輪島、のと鉄道を訪ねた。和倉温泉は食塩泉である。有名な加賀屋に泊まった、文句のつけようのない設備、対応、食事であった。館内の美術品巡りに参加した。温泉は秋が観光の中心のよう、冬はカニやブリなど食べ物はおいしい。輪島では朝市を訪れた。地元の海産物の販売が多い。輪島塗の工房を見学したその手のかかる様子を十分教えられた。有名な棚田を見学、海に落ち込む傾斜に作られた棚田である。最後にのと鉄道にのる。穴水駅から和倉温泉駅まで乗車したが、第3セクターで途中停車し風景の解説をするなど様々な営業努力をしている。なおこの路線はJR時代輪島まで伸びていた。能登は石川県の中でも人口減少に悩む地域、金沢新幹線の恩恵は必ずしも現れていない、一向一揆の戦国時代の文化がある。
冬の北陸は北西の季節風が強く気温が低い、また日射量が少なく半分融けかかった雪が降るのが特徴で、関東地方とは違っている。荒れた日本海と風の冷たさが印象に残る。











