2013年12月31日火曜日

南紀旅行2

南紀旅行で訪ねた文化施設をまとめる。
伊勢神宮
 日本書記等によると疫病流行を鎮めるため都の行政権の及ぶ最も東の伊勢に天照大御神を祀る神社として建てたようです。内宮(天照大御神を祀る)と外宮(豊受大御神を祀る)とからなる。
 鎌倉~南北朝時代、朝廷の力が衰微したことで、伊勢神宮の外宮内に祀られていた食物・穀物の女神豊受大神のを重視する考え方が広まる(伊勢神道のはじまり)。この流れの延長で18~19世紀に豊受大神を詣でるお伊勢参りがブームとなる。
 明治になり政府により全国神社の頂点の神社として位置付けられたが、第二次世界大戦以後は、宗教法人神社本庁発足により、全国神社の本宗となる。
熊野三山
 熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称。仏教的要素が強い。
 古来修験道の修行の地であった。平安時代後期、阿弥陀信仰が強まり浄土教が盛んになってくる中で、熊野の地は浄土と見なされるようになった。そのため歴代上皇が参詣を行うようになり、熊野街道が整備され次第に周囲に知られるようになった。その後、民衆も熊野に頻繁に参詣するようになり、俗に「蟻の熊野詣で」と呼ばれるほどに盛んになった。江戸後期に紀州藩による神仏分離政策のため衰退し、明治の神仏分離令により衰退が決定的となった。
高野山
 平安時代に弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗における聖地である。標高約1000mの高原にあり仏教施設を中心に生活上のすべてがそろう門前町である。また奥ノ院には弘法大師の足下に眠れば極楽往生できるという信仰のため豊臣秀吉をはじめ歴史上の有名人の墓が多い。

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