2014年3月31日月曜日

富岡・下仁田旅行

 30日から31日にかけ西上州の旅行に出かけたので記録をしておく。 
 富岡製糸工場跡・・・明治政府が外貨獲得のため洋式の手法を取り入れて初めて作った官営の製糸工場、初めは経済的に成り立たなかったが民営に移ったあと利益を生み出すようになる。また女工に対する教育、福利厚生等先進的なものであった。現在、世界遺産への申請が行われている。見学をして絹糸がいかに作られるかが理解できた。また2月中旬の大雪で、建物の一部が壊れていた。
 貫前神社・・・上野の国一之宮で1400年の歴史を持つ神社。段丘面から崖を下るように見学する。
 群馬県立自然史博物館・・・関東でも有数の自然史博物館。常設展示の地球史、人類史の部分は展示を見ながらそこをあるくと実物を見ながら地球史、群馬の台地の歴史がわかるように作られている。
 小幡・武家屋敷跡、楽山園・・・群馬県に唯一残される武家屋敷群。上流から引水した雄川堰を中心に、武家屋敷や復元れた陣屋である楽山園がある。よくも関東でここまで江戸時代のものが残っていると感激する。

2014年3月29日土曜日

EM-1S が壊れた

 30年弱使い続けた、タカハシのEM-1S赤道儀が壊れてしまった。最近若干赤道方向の追尾がおかしいことがあり(時々追尾しない)、観測会でコントローラがピンジャックの差込口からぽろぽろ抜ける状況が生じていた。
 そこでモーター部分を外してみたのだがコントローラー差込口の金属板が本来離れているところくっついてしまっていることがわかる。部品が完全にモーターと一体なので部室にあったジャンク品のモーターセットと交換を試みる。ここでうかつだったのだが、ジャンクの動作確認をしなかったので、交換した後動かないことに気が付く、ネットではICチップ交換で復活させたとあるが私の手にあまる。もとのモーターセットも外す際に破損してしまいここで終了。
 しかし思えば4つの学校を経験したが、1校目ではフルに利用、2校目では個人的な遠征で利用、3校目では時々の天文現象の確認に利用、4校目ではここでは復活しフルに利用していた。よくもってくれて最大限活躍してくれた、感謝。

2014年3月27日木曜日

春の校内天体観測会

 3月25日に校内天体観測会を行った。後半から曇るとの予報であったが12時ころまでは晴天で風もなく良い条件であった。ただし、晴天と言っても春なので透明度はよくなく3等星はほぼ見えなかった。
 前半は木星、後半は2年ぶりの火星、土星と写真を撮った。大気の揺らぎはあまりなく惑星写真には条件が良かった。イオの一晩の動きを記録しようとしたが7時、9時、11時、12時と撮ったが、運動の向きが変化するところだったので、あまりわかりやすい写真にはならなかった。望遠鏡で観望したのはオリオンの大星雲、プレアデス、プレセペで、肉眼で確認した星座は牡牛、御者、双子、オリオン、獅子、北斗七星、北極星、牛飼い、乙女であった。

2014年3月16日日曜日

富士見の台地と低地

 地球科学部の地質見学の下見に富士見を自転車で調べてまわった。打越貝塚を見たくて調べたが、発見できなかった。水子の博物館の方の話では貝殻はどれないそうで、また遺跡そのものは小学校の校地なので見学は難しそうである。水子貝塚は復元住居の見学ができるので予約をした。難波田城公園はその目で見ると低地の詳細な地形図や水塚や避難用の船の展示があり使えそうである。荒川まで自転車で行ったが荒川低地全体を俯瞰するのにはよいが何せ難波田城公園からのピストンは距離があり難しい。

ps 見学会本番
春分の日の21日(金)見学会の本番を行った。
みずほ台駅に集合し、初めに打越公園にむかった。もちろん遺跡は残っていないが、段丘崖と段丘地形の見学をした。
次に、水子貝塚に行く。ボランティアガイドに説明してもらったが間違いもなく情報も多く良かった。また復元住居の見学をさせてもらったが、縄文人も様々な道具を使い豊かな生活をしていたのが印象に残る。風が強くなり資料館の作業室で、資料館見学を兼ねて昼食をとらせてもらう。
最後に新河岸川を横切ったあと、難波田城公園に行く。荒川低地を理解する目的で、周囲の自然堤防、後背湿地、水塚、避難用の舟、その他を見学した。
帰りは近くのバス停から志木駅東口行のバスに乗った。
2014-03-21

2014年3月9日日曜日

上福岡貝塚

 上福岡貝塚を見学する機会があったので簡単にまとめる。今から約90年前に発見された縄文前期の住居跡および貝塚からなる遺跡で、国の重要文化財にも指定されている上福岡貝塚出土片口土器で有名である。現地では7つの住居跡を見学した。家が拡張される様子、かまどの位置、廃屋になったあと貝塚にされる様子などを観察し説明を受けた。これらの住居は大きな環状の集落の一部である。また出土品のしじみ、バイガイ、カキ、ハマグリや縄文土器(黒浜式土器が主体、それ以外に段丘崖沿いに開山式土器と集落がみられる)、粘土製の網の錘などの見学や説明を受けた。ふじみ野市の教育委員会の学芸員の方に少人数で説明を受けたので、わかりやすく当時の人たちの社会や生活の一端をうかがい知ることができ面白かった。

ps 縄文土器の変遷
全体の形
 土器の形を古い順から並べてみると、最も古いものが平底土器で、次に尖底土器。そして、その後はまた平底へと戻っていく。
縄文とは
 小さな米粒のような形の連続した文様で、これは撚りあわせた細い縄を転がすことによってできる文様。
模様の変遷
早期・・・土器は細かい沈線や縄文によって平面的な文様構成
前期・・・
 花積下層式土器から開山式土器にかけて執拗なまでに縄文文様が極限状態に施される
 次の黒浜式土器は全面に縄文文様が施されるが、いたって単純な単節の縄文になる。
 次の諸磯式土器ははシノ竹の切り口を押しっけた小さな輪や、半分に割って切り目を押し引きした2本の平行線で構成された竹管文が現れる。
後期後半以降・・・縄目は細い繊維束でつくられたきわめて細かいものになり、あの隆盛をきわめた隆帯文は影を潜めて、その部分は1本の沈線になる。
 土器の表面には微粒な化粧粘土が塗られて、しかも丁寧に磨かれ、沈線も細く複雑化し、細かい縄文がつけられる。関東地方の堀之内式土器や加曽利B式土器、東北地方の亀ヶ岡式土器群はその典型。
2014-03-09

2014年3月8日土曜日

公立高校学力検査

 3月3日に埼玉県の公立高校学力検査が行われ、理科の問題の採点にかかわった。問題形式は総合的な問題、地学、生物、化学、物理の5問で、内容的には地学と物理が難しかったようである。事前に同種の問題を丁寧に解いていないと最後までは進めない分量であった。また昨年よりは平均点が下がっている。
 採点の際おくればせながら気づいたのだが、新課程になって中学の学習内容が第一分野と第二分野の区分がなくなっており、内容的には盛りだくさんになっている。