2017年1月8日日曜日

GPSロガー

 スマホで歩いたルート記録できないかと探していたところ。ジオグラフィカをみつけ使い始めた。導入した後、地図の設定をして、調査用なので色など通常の2.5万図と同じようにする。
 最初に岩殿丘陵の調査に使う。デホルトでつかったが、記録の間隔や精度は満足のできるレベルである。かつて専用機でログがとれることを知っていたが、そのために数万を投資するのはいかがかと導入をしなっかったのだが、このアプリは十分満足のいくものである。電池の消耗も思ったほどなく1日は余裕で使えそうである。ただ、ピヨピヨのログの記録音や歩いていて時刻や上り下りのペースの報告は調査には邪魔であったので帰宅後、音声報告のないよう設定を変更する。帰宅後ログをグーグルドライブに落とし、カシミールで読み込み表示でき2次利用も問題なかった。
 2回目は小川町の地質巡検で使用する。現地に車で向かい、途中車で移動しながらの巡検であったが、ルートの記録は十分実用に耐えうるものであった。さらに今回はマーカー機能を利用した。ルート上のポイントでの記録である。マーカーをポイントに移動しポイントの名称、簡単なメモが残せる。ただ調査の複雑な記載は無理なので、ポイント名(Stop1など)と地層名など記録し、残りの詳細な記録は野帳に記録するのがベストである。帰宅後、ルートとマーカーを別々に落としカシミールで確認できた。
 山岳地域、特に沢沿いでどこまで使えるかは未知数だが、調査に相当使えるツールである。

小川の地質見学会

 地団研埼玉支部の新年例会に合わせての地質巡検に参加した。講師は東京支部の宮下敦氏で、地質学雑誌に論文掲載があったので依頼し巡検案内をお願いした。
 始めに小川町の木呂子の向い、金勝山の石英閃緑岩に相当する岩石を見学、続いて栃谷層(跡倉相当層)と秩父帯の間の狭い範囲に分布する特殊な地域を見学した。ここゾーンは御荷鉾緑色岩をマトリックスとし、角閃岩、輝緑岩、蛇紋岩、泥質岩をブロックとして含むゾーンで、変形をあまり受けていないことから、テクトニックメランジでなく、海溝での沈み込みに際し崩れ落ちたりしてできたものとの説明があった。またこの中の角閃岩は、ジルコンU-Pb年代からは480Ma、40Ar/39Ar年代からは430Maの年代が出ていて埼玉最古の岩石である。これらの岩石は石英閃緑岩などとともに西南日本内帯からスラストによって移動したと考えられるそうである。次に底痕のある栃谷層を見学した。
 また最後に車で移動し新しく見つかった吉見変成岩の露頭を見学した。金勝山石英閃緑岩の構造的な下位にあたる高温高圧型の変成岩で、砂質の片麻岩や角閃岩からなる露頭で、埼玉では自分自身は初めて片麻岩を見た。内帯から来た岩石だということになる。2時間ほどであったが中身の濃い見学であった。

2017年1月2日月曜日

兵庫と岡山

 3日目は兵庫と岡山の次の場所を訪ねた。
 姫路城・・・戦国時代に豊臣秀吉が改築、江戸時代初期に池田輝政が大がかりな改修を行い現在の姿になる。徳川幕府が西の外様大名に対する備えとした重要な拠点で、歴代の城主は徳川側の重要人物か就いている。その一人本多忠刻の正室が豊臣秀頼の正室でもある千姫がいる。歩いての印象のひとつは、石垣はうす茶色の柔らかい礫岩(?第三紀の岩石)がほとんどであったことである。
 倉敷美観地区・・・倉敷地区は江戸時代に代官所が置かれ、高梁川を利用した物資の集積地として発展。さらに明治維新後は、紡績業が盛んになり、現在の倉敷紡績株式会社などが誕生しています。また、水島地区は石油化学コンビナートで有名である。また、古い町並みが各地にありますが、そのひとつが市中心部の倉敷美観地区です。白壁に、なまこ壁などが特徴的な町並みで、一部が適度に観光地化される一方、未だに多くの人々が暮らしています。電線の地中化等歩いてみてきれいに整備されている印象であった。

島根と鳥取

 2日目は鳥取と島根の次の場所を訪ねた。
 足立美術館・・・実業家・足立全康がつくった近代日本絵画を中心とした美術館。横山大観と庭園が有名。大観の時代の作品はより新しい時代の作品群に比べるとつやっぽさがない印象がした。
 出雲大社・・・古事記を解釈すると、大国主神にアマテラス(大和朝廷)から、国の統治権を譲るように使者を出して命令をした。しかし、使者を懐柔して抵抗する大国主側に、「現世の政治は我が子孫がする。おまえはあの世のことをしなさい」と、最後通告をつきつけ、戦いに敗れた大国主神を祀ったのが出雲大社だという。このため神社の格、参拝の様式、しめ縄の形などが他の神社と全く違っている。
 鳥取砂丘・・・鳥取市の日本海海岸に広がる広大な砂礫地で、代表的な海岸砂丘、南北2.4 km, 東西16 kmに広がる。観光可能な砂丘としては日本最大である。その出来方は、そばにある千代川によってもたらされる砂が、海の流れによって浅海底に堆積する。それが波によって海岸に打ち上げられ季節風によって内陸側に積もって海岸砂丘を形成していると考えられている。

山陰山陽の冬

 2泊3日で山陰山陽を訪ねた。その印象をまとめておく。 
 高度1000m強の中国山地のためまったく違った冬になる。山陰は北西の季節風のため不順な天候になるが新潟などと違い雪の降り方は少ない。山陽は季節風による晴天が多くなる。ガイドは冬の山陰の天気予報はあてにならないと言っていた。往路は岡山まで新幹線を使い、伯備線を特急八雲で山陰に向かう。中国山地の分水嶺付近は積雪がみられたが下り始めるとすぐになくなった。また2日目は日本海岸をバスで移動したが、防風柵や大きな風力発電機、鳥取の街の雁木などは冬の季節風と荒天を特徴づけるものであった。