2015年1月20日火曜日

ラブジョイ彗星(C/2014 Q2)

 2014年8月にオーストラリアのラブジョイさんが発見した新しい彗星です。当初予想されたより明るくなり、1月上旬から肉眼でも見える4等級代になり観測可能となったため地球科学部でも1月19日に急きょ観測しました。
 軌道面は黄道面に対してほぼ垂直に交わり、天球の南半球から北半球に向かい1月30日に近日点を1.3天文単位の距離で通過します。また地球に最接近するのは1月7日で、その距離は0.47天文単位です。このため1月上旬が地球から見てもっと明るくなります。その軌道から夕方や明け方でなく夜中にも観測できます。またこの彗星はオールトの雲を起源とし公転周期は8000年です。
 1月上旬から中旬の時期は牡牛座の下を毎日場所を西に移動しながらもわっと見えるコマが移動していて、全体の観測会の当日はすばるを頼りに双眼鏡で確認しました。ただその前の週に比べ確実に暗くなっていました。

2015年1月18日日曜日

「アメリカの鏡・日本」

 「アメリカの鏡・日本」ヘレン・ミアーズ著、伊藤延司訳、角川書店を読む。
 筆者はGHQの一員として日本占領政策の策定にかかわった女性の日本研究者である。内容は明治までの日本、明治維新から敗戦までの日本を研究者として客観的に分析した著作で、次のようなことがまとめれれている。明治の前の日本はどんな国であったか。明治維新はいかに起こったか、それに西欧列強はいかに関係するか。明治以降の日本はいかに西欧列強を手本にして変革していったか、そのときの東アジア情勢と西欧列強の対応。太平洋戦争はどのように進行していったか。日本の敗戦処理は、アメリカなどによっていかに行われようとしているかなどである。表題は、アメリカが今戦後処理の改革をしようとしているのは、明治維新以降西欧やアメリカを手本として同じ手法で同じことを行った日本であるという意味である。
 今まで日本から見た日中戦争、太平洋戦争とうい知識は持っていたが、アメリカ人の書いたものを読むのは初めてである。アメリカが日本に対してどんな意識を抱いていたか、またその権益をいかに守るため行動していたかがまとめられていて新しい視点でそれらをみれたのが貴重であった。

2015年1月12日月曜日

水星

 水星が東方最大離角に近いため、部活動で観望と写真撮影をした。宵の明星のそばに見つけやすかった。また水星観望は黄道が立っている春分か秋分の時期かと思っていたが、1月のこの時期はくれるのが早く、空も澄んでいるので案外観望には良い時期なのかもしれない。これを機会に水星についてまとめる。
 太陽に一番近い(5800万km、0.39AU)惑星で、公転周期が88日(会合周期116日、最大離角は28度)、自転周期は59日(2公転する間に3回自転する共鳴関係)。半径が2400km(月の1.4倍)で地球の比べ大きな金属核を持つ(地球は体積の17%が核、水星は42%)、弱いながら地球と同じような磁気圏が存在することから液体核の存在が推定されている。表面は月と同様なクレーターが多数あり、またその収縮の際にできた断崖が多数みられる。大気はほとんど存在せず、そのため表面温度が昼間の部分が450度、夜の部分が-180度になる。また極にあたる部分には氷が存在している。

2015年1月2日金曜日

戦前の日本との関わり

 台湾を訪れるとどうしても戦前の日本との関わり合いを意識せざる得ない。そこで今回訪ねた場所についてまとめる。
 日月潭・・・台湾最大の湖、開発前はもっと小さかったが戦前の水源開発のため水位が上がった。このため複数の廟をを移築し文武廟をつくる。サオ族(邵族)の居住地でもある。
 赤嵌楼と延平郡王髭祠・・・いずれも台南にあり、前者は台南にオランダ人が築いた城跡、鄭成功が攻め落とす。オランダが築いたレンガ塀が発見されている。後者は鄭成功をまつる廟。戦前「開山神社」と改称される。神社として異国人をまつるのはめずらしい。戦後一度は取り壊されたが、再度中国式の祠として再建される。(鄭成功は明末清初に明を支持し抵抗運動をし、台湾に渡って鄭氏政権をつくった武将。母親が日本人である。)
 壽山・・・高雄港を望む高台、隆起石灰岩からなる。戦前「高雄神社」があったが戦後壊され忠烈祠などが建てられる。ただ神社関連の痕跡は複数見られ、特に太平洋戦争の開戦の記念碑は日本では見られないモニュメントである。
 九ふん(にんべんに分)・・・戦前に金鉱山として栄えたが現在では昔の面影を残す観光地として有名。悲情城市の撮影舞台でもある。昭和天皇(当時皇太子)が訪問予定をドタキャンして彼のため建てた貴賓室が現在も残されているそうである。