2017年12月30日土曜日

大島火山

 久しぶりに大島火山を訪ねる。1日目は風が強く、外周をぐるりと見てまわる。始めに火山博物館を訪ねる。大島火山や他の火山のことが学べる施設。次に地層切断面を見学、多数のスコリアと火山灰が重なり、複数の不整合がみられる。波浮の港(爆裂火口)と筆島を遠望する。椿で有名な大島公園に行く、本来は行者窟まで行って古い火山の岩石を見たかったが風のせいであきらめる。
 2日目は三原山、御神火茶屋から火孔を巡るコースを歩く。年代の違う溶岩流を見る、多くはアア溶岩である。外輪山を遠望、御神火茶屋~大島温泉ホテル~櫛形山~白石山。内輪山の周辺では火山弾が多数観察される。火孔は直径300m、深さ200m、所々から水蒸気が立ち上がっている。火孔の東側には季節風で吹き飛ばされたスコリアからなる裏砂漠が広がる。足元にはスコリアが多いが、地下からもたらされた安山岩もみられる。剣ヶ峰の外側には割れ目噴火の火口がみられる。火口をぐるりと一まわりしたところに、溶岩流によって運ばれた大岩塊のアグネルチレートブロックがあり、スコリアや溶岩などから構成されている。昨日の風も収まり2時間強の興味ある時間を過ごせた。

2017年12月29日金曜日

伊豆大島の星空

 年末に伊豆大島を訪ねて星を見て、若干の写真を撮った。竹芝桟橋から高速船で2時間弱、そこから三原山まで30分強のホテルで星空を見たが、素晴らしい星空だった。北の地平線近辺は東京を中心に、伊豆半島や房総半島の明かりが気になったがそれ以外は十分満足のいくものであった。断続的に3時間ほどの観望であったが、広角レンズによる固定撮影で秋の天の川がわかる写真が撮れ(冬の天の川周辺も素晴らしいが天の川までは無理)、月明かりがなければさらに良かっただろう。ポラリエのテスト撮影も行ったが、持って行った三脚が華奢なため極軸をあわせた後、カメラを合わせる際にまだずれてしまうの繰り返しでものにはならなかった。きちっとした三脚が必要である!
 ホテルには都立高校の天文部が冬季合宿に来ていて、機材は宅急便で送って、ホテル泊のことを考えるとお金を使っている印象である。

2017年12月24日日曜日

岩殿丘陵

 地球科学部の冬の地質巡検で岩殿丘陵を訪ねた。科学展のテーマで岩殿丘陵の放散虫化石を調べていて、来年度もレポートを書く予定なので企画した調査である。高坂駅で集合し、午前中は地質巡検で岩殿観音から地球観測センターまでのコースを、物見山礫層、ガラス質凝灰岩、火山豆石、放散虫の入る泥岩層などを見た。地球観測センターで見学と昼食をとった後、午後は橋本周辺の調査をした。鳩山部層から1か所、将軍沢部層から1か所サンプルをとり、周囲を観察した。その後バスで坂戸駅まで行き解散した。
 学校では、泥岩資料を過酸化水素処理し放散虫を抽出しプレパラートをつくり、写真撮影をした。2か所ともそれなりに放散虫化石の入る試料であるが、生徒は初めてなのでなかなか満足のいくデータを得るのは難しい。

2017年12月3日日曜日

東京ミネラルショー

 12月3日東京ミネラルショーに行く。池袋のサンシャインシティーの文化会館ビルの2フロア―を借り切っての企画で、日本や外国の鉱物や化石のバイヤーが一同に会し、小売りを行うものである。開始時間にいったがすでに100人ほどの行列ができていて盛況である。800円の入場料を払う、鉱物や岩石、隕石、化石などが同じような扱いで売られているのが不思議な感じがする。化石については三葉虫やアンモナイトなどの売れ筋のものを扱う店が多い。
 私自身はビカリアのレプリカのとれる標本が欲しかったので、探したところ数100ある出店者の中で1か所見つけ(他にあったかもしれない?)、産地のきちっとした5cm強の標本を2個体4000円で購入した。
 展示コーナーで数は少ないが中国・澄江のカンブリア初期の化石が展示されていて、興味深かった。

2017年11月12日日曜日

野比海岸を歩く

 城ケ島より古い化石資料を求めて、野比海岸の調査をした。YRP野比駅を降り野比海岸に向かう。砂浜の海岸には所々、基盤の第三系葉山層群が露出している。成層する泥岩やその泥岩の乱堆積の地層がみられる。比較的柔らかく印象は三崎層群と同じような感じである。また、石灰岩を挟む層準もあった。これらから複数の放散虫用の試料を採集する。その後海岸道路のの路肩が浸食により崩壊している場所が現れ、ここに蛇紋岩が露出している。ここには活断層の北武断層がと通るとされている。風化が激しくそのなかで比較的ましな試料をとる。その後スコリア質の砂泥互層が現れた。この地層は新しい逗子層だと考えられている。
 ここから尾根を越え久里浜まで歩く。久里浜ではペリーの上陸記念の公園とペリー記念館を見学し駅まで歩いた。

2017年10月8日日曜日

長崎散策

 修学旅行で長崎を訪ねた。1日目は平和祈念公園、原爆資料館を見学し、2日目は午前中を中心に自由散策である。
 2日目は本部詰めの時間を除いて長崎市内を歩いた。復元されつつある出島を見学し、そのあと長崎の名前の由来になった出島の北にある県庁の立つかつての岬の地形を見て歩いた。知識を持って歩くとわかりやすい地形で案内板もある。もう一か所は信徒の再発見で有名な大浦天主堂、さらに近くの孔子廟を見学した。孔子廟は論語の石板や多数の弟子の石像などがあり一見の価値があった。かつて偏西風の関係で交易に訪れた中国人は半年滞在するので中国人社会ができ中国式の寺が建てられた。この建物は清朝政府と華僑が建てたもので本格的な中国式の霊廟で中国寺を見るより中国を感じられる。

生月島

 修学旅行の民泊で長崎の生月島を訪ねる。平戸島の北西にあり、九州本島とは平戸大橋、生月大橋で結ばれている。歴史的に漁業が主要産業でまたキリスト教迫害の歴史のある場所でもある。西岸が急峻である地形と季節風の影響で東岸に集落が集中する。
 私自身は、島内を車で巡り、柱状節理で有名な「塩俵の断崖」や牛の放牧をみて、港での釣り体験をした。漁港では回遊するシイラが旬で盛んに水揚げされていた。民泊は地域おこしに一役買っているようだが、高齢化で受け入れ家庭を新しく探すのが大変なようである。

2017年9月25日月曜日

zenfone3

 3年ぶりにスマートホンをかえる。前機種が無印zenfone(zenfone5)で、安かろう悪かろうのフリースマホの常識を変えた安いけれどもそこそこの性能とされた機種であった。質感はいまいちであったが、性能的には満足な端末であった。変更に際して気になったのは、simをときどきに認識しなくなり、厚紙を入れてsimを押して認識させ使っていたこと。その作業のため裏ブタを何度も開け閉めしたため、裏ブタをしめても遊びができてしまったことなどである。
 simの大きさを変えたくなかったので、その中で一番欲しかったzenfone3を購入した。質感とカメラがいい機種との評判で、使い始めたばかりだが、指紋認証等の新機能が便利である。機種移行に際してgoogleが前の状態をほとんど再現してくれるのはありがたい機能であった。

2017年9月10日日曜日

人間ドック

ウィークデイの代休に人間ドックを受けた。検診に関わる基礎知識を2つまとめる。
血圧測定・・・腕を血圧計に入れ周りから圧をかけられその後取り除かれる際の音(コロトコフ音)から測定、圧が取り除かれる際に音が聞こえ始めるのが最高血圧、音が消えるのが最低血圧である。
バリウム検査・・・毒性のなくX線を透過しない硫酸バリウムを使って、食道・胃・十二指腸の病変をチェックするための検査で通常のレントゲン写真と異なり、X線を連続して照射しながら行います。また胃カメラ検査が被爆しないのに比べ、さらに胸部X線よりはるかに被爆線量が高いのが問題とされる。

2017年8月23日水曜日

グレートバリアリーフとブルーマウンテン

オーストラリアで訪ねた地形・地質に関する2つの場所を紹介する。両者とも世界遺産である。
グレートバリアリーフ・・・オーストラリア北東にある巨大なサンゴ礁群。オーストラリアはプレートの移動により北に年7cmで移動しているので北部は2000万年前ころから熱帯に入りサンゴ礁が形成される条件のひとつが整った。現在生息するサンゴは大陸棚の先端の残丘(火成岩や堆積岩)上に主に最終氷期以降に築かれた。グレートバリアリーフに所属するグリーン島を訪ねる。ケアンズ港から高速船で1時間の距離にあるサンゴ礁からなる島。ここでグラスボートにのりサンゴ礁を観察し、島内を散策をした、1時間弱で1周できる小さな島、北岸ではビーチロックをみた。
ブルーマウンテン・・・3億年以降の水平層が隆起による浸食によりできた隆起準平原、地形的にはグランドキャニオンに似ているが異なるのは原生林に覆われているところである。石炭の発見によって開発が始まる、現在はシドニーから車で1時間ほどのところにある避暑地である。ユーカリの樹から揮発した油分のせいで全体が青く霞んで見えるので名前がつく。現地では石炭開発の軌道を利用した観光トロッコ列車にのり天然林や石炭の坑口を見学しロープウェイでもどった後、場所を移動しスリーシスターズや隆起準平原地形を展望した。

2017年8月20日日曜日

ユーカリと森林

 東海岸のケアンズ(熱帯雨林気候)、ブリスベン周辺(亜熱帯気候)、シドニー周辺(温帯気候)を見てきただけなので気づいたことだけのメモです。
 動物と同じで固有種が多い。代表的なのが2000種類以上のユーカリで森林の8割をしめるそうである。油分の多いユーカリは乾燥していると発火しやすく山火事の原因となる。またその油分が蒸発し山が青く見える場合もある(シドニー郊外のブルーマウンテン)。コアラは特定のユーカリのみ食べる動物である。ガイドさんの話しではユーカリは裏が白いものが多いようで、コアラのお尻が白くまだらなのはカムフラージュの意味があると聞いた。また常緑樹で成長の際に樹皮がはがれていくとのことである。
 国土の広いオーストラリアなので様々な雨林がある。ケアンズでは熱帯雨林、1億3,500万年前までさかのぼる、地球上で最も古い熱帯雨林だそうです。ブリスベンではゴンドワナ雨林、ゴンドワナ大陸の痕跡を残すそうである、ここでは土ボタルをみる。シドニーではブルーマウンテンでここでもユーカリの森林が広がります、またここでも数メートルの木性のシダが見られるのには不思議な感じを持ちました。

2017年8月18日金曜日

オーストラリアの動物

 固有種が多いのが特徴、8~9割が固有の動物だといわれる。このため東南アジア半島部とボルネオ(あわせてスンダランド)とパプアニューギニアとオーストラリア(あわせてサフルランド)の間に生物分布の境界線(ウォレス線)が引かれる。
 具体的には、哺乳類としたは有胎盤類は少ない、アボリジニが持ち込んだ犬が野生化したディンゴがいる。様々な有袋類が棲む。コアラ、カンガルー、ウォンバット、タスマニアデビルなどカラビン・ワイルドライフ・サンクチュアリ(ゴールドコースト)でみる。原始的な哺乳類の単孔類のカモノハシ、ハリモグラがいる。鳥類だが、真面目に観察したわけではないがまったくと言ってよいほど日本の鳥とは違う。特に違うものとして、飛べない鳥のエミューやオウムの仲間がいる。最後に虫類だが、ワニとしてはクロコダイルがいて、ヘビの種類がおおいそうである。グーレートバリアリーフでアオウミガメをみた。
 また、3億年前から分裂を始めたゴンドワナ大陸に関連する生物を指摘することができる。カメ(カメ類の曲頸亜目、平胸類)、魚(肺魚類?、カラシン科、アロワナ亜科)、カエル(ツノガエル類、ピパ類)、鳥(ダチョウ科)などである。

2017年8月16日水曜日

オーストラリアと日本の物価と賃金

 オーストラリアに観光で行ってきたので気づいたことをまとめる。オーストラリアは物価が高い。25年前は物価が安く住みやすい国だったそうだが2000年のオリンピックから特に顕著で、ケアンズの普通の住宅でも1億を超えるとか。酒屋でビールを買っても500ml缶が500円、最低賃金が1000円強(日本の2倍近い)、トラック運転手の年収が1000万だそうで、金利が3%である。工業製品(車や電子機器)や知的価値の生産(windowsやアップルなど)が盛んでないオーストラリアがなぜこんな生活ができるか、結論は鉱物資源とその土地を利用した農産物生産なようだ。近代化されていて資源があり国民の人数が少ない豊かな国だということか。
 ひるがえって、狭い国土で、海外に売る鉱産資源のない、また農産物の大規模生産のできない日本は、その人口の多さもあって工業製品で稼ぐしかなく、賃金の安い同じ技術レベルの国が出てくると競争に負けてしまう。日本はここ20年ほど平均賃金が上がっていない(オーストラリアは右肩上がり)。日本が戦後から発展した理由は、その教育水準の高さとその人口の多さによる。レベルの高い工業製品を世界に供給し、また消費者である人口が多いのが力になり、世界2位の経済大国になった(現在は3位、ひとりあたりは先進国最下位)。少子高齢化で労働人口、耐久消費財の消費者の人口が減っている日本は、生産拠点を海外にして、価格を抑え、国内の生産にかかわる労賃を抑え、正社員を減らし臨時の雇用を増やしそれでやっと正社員の賃金、国民皆保険、年金システムを維持している。日本の今のシステムの維持はそろそろ限界なのではないか。

2017年8月5日土曜日

尾瀬

 ワンダーフォーゲル部で尾瀬を歩いてきた。その地史をまとめる。
 尾瀬の基盤は桧枝岐層群(中生代?)、花崗岩(白亜紀)とそれに貫入し隆起した蛇紋岩体からなる。蛇紋岩体は隆起し至仏山になる。
 鮮新世に火山活動が始まる。この結果、景鶴山や檜高山がつくられた。景鶴山はその後の浸食により山頂部は岩峰になっている。次に更新世になると、南側で火山活動がおこります。これによりアヤメ平、ススヶ峰、皿伏山がつくられました。これらをつくった溶岩は粘性が低い溶岩です。
 最後に活動した火山が燧ケ岳で、30数万年(更新世の後期)からの活動だとされます。この活動により平坦な半盆地状になっていた只見川の源流が溶岩によってせき止められ、湖が出来、それが埋め立てられ、さらに泥炭層が形成されお花畑が有名な尾瀬ヶ原完成したと考えられる。その泥炭層の厚さは5m弱だそうである。また尾瀬ヶ原の北に三条の滝があり尾瀬ヶ原と尾瀬沼のすべての水が流れ出ているが、これより上流が燧ケ岳の溶岩(?)、下流が花崗岩で風化しやすい花崗岩が削れて滝をつくっているようだ。その後燧ケ岳からの溶岩流によりせき止め湖がつくられこれが尾瀬沼になった。

2017年8月1日火曜日

列島誕生 ジオ・ジャパン

 「NHKスペシャル シリーズ 列島誕生 ジオ・ジャパン」をみる。最新の日本列島形成に関する成果を一般向けにまとめたもの。話は4つのイベントからなる。
 1つ目は、大陸からの日本の分離。新第三紀初めに大陸からの分離がおこる。古地磁気のデータを紹介する。原因としては太平洋プレートの後退を上げていた。かつては中央海嶺の沈み込みを原因としていたようだがいまは否定されているのだろうか?
 2つ目は連続する島の衝突。太平洋プレートがフィリピン海プレートに沈み込み生じたかつての伊豆諸島が次々に列島に衝突し東日本と西日本がつながったとされる。ぶつかった陸地は、御坂山地、丹沢山地、伊豆半島と日本に付加した。
 3つ目は西南日本の外帯における酸性火山活動。紀伊半島を中心に取り上げる。フィリピン海プレートの拡大による大平様プレートとの境界の東進のため新しく熱い海洋プレートが沈み込んだことによって起こったとされる。これによって西南日本が隆起したとある。
 4つ目は日本海溝の西進とフィリピン海プレートの方向の変化。新第三紀の末に、太平洋プレートが西に移動し東北日本が山地を形成し、またそれにともなって北に移動していたフィリピン海プレートが北北西に移動するようになる。
 一つ一つは面白いが、背景になった事実をもう少し吟味したい。

2017年7月24日月曜日

観音崎を歩く

 3月末のサンプル採集に続いて、調査を目的に観音崎を歩いた。観音崎大橋から観音崎の北までを約2時間かけて簡単な調査とサンプル採集をする。観音崎大橋のではやや石灰質の泥岩が主体の逗子層がみられる。博物館の下からはスコリアの礫岩や砂岩そして泥岩からなる地層が現れる、ここからは池子層になる。ときどきより石灰質な岩石をはさむ、ここからは3月の資料からは放散虫が出ている。さらに、同時性の巨礫が混じる層準があり、次に観音崎の名前の由来になった海食洞がみられる。終点ではスコリアの礫岩や砂岩、泥岩からなりまた石灰質の粗粒砂岩をはさんでいる。
 逗子層と池子層がはっきり区別できるコースである。またこのあと放散虫を出してみるが、うまくいくと課題研究のフィールドに使えるかもしれない。

2017年7月10日月曜日

線状降水帯

 NHKの「九州北部 記録的豪雨はなぜ」を見た。9日現在18人の死者と20人の行方不明者が出ている。
 災害及び被害拡大の原因は梅雨末期で九州に停滞する梅雨前線に向かって南からの湿った空気が多量に流れ込んだこととこれが偏西風とぶつかったところにちょうど背振山地(最高点1054m)があり、東側のに線状の降水帯が発生停滞し大量の雨が降ったことが第一である。また数十年に1度の雨のため各地で斜面崩壊が起こり、植林されていた杉が流れ下り、橋等で水流を詰まらせ洪水を発生したことも要因のひとつである。
 被害を少なくした点の一つとして、集落で自主防災マップの作製、これのもとずく避難があったことが挙げられていた。
 また、最近地球温暖化の影響で海水面温度の上昇が顕著であり、日本の北の地域でも似た豪雨が発生しているとのことである。

2017年7月2日日曜日

比企丘陵を歩く

 最近比企丘陵を歩いている。具体的には市野川とその北の二ノ宮山周辺です。
 市野川では松山城跡、吉見百穴から北西に流路をかえるまでである。見られるのは中新統の中部から下部の地層で、中部層では泥質の凝灰岩、凝灰岩、砂泥互層などがみられ、下部層では凝灰岩、凝灰角礫岩、泥岩がみられる。また時期的に藪の時期で観察にはやや適さなかった。
 二ノ宮山周辺では礫岩層、凝灰岩層、泥岩層をみた。また山頂にある展望台は360度の展望があり、空気の澄んだ日に再度登って写真をとりたいと思った。
 かつて訪れた荒川の川本ではこれらの上位に当たる中新統の上部を観たので、これで一応全体の岩相をみたことになる。
 昨年何遍か歩いた隣の岩殿丘陵に比べると全体的にはやや浅い堆積環境を連想させる。

2017年5月28日日曜日

理数科課題研究

 本校の理数科2年の課題研究で城ケ島の放散虫化石を調べることにしている。その関係で試料採集に城ケ島を生徒4人と訪れた。当日は南からの風のやや強いが吹いていたが晴天で心地よく採集と見学とができた。初めに城ケ島の北の三崎層から複数の放散虫試料を採集し周囲を調べた。生徒に石灰質の岩石を確認させるためサンポール(塩酸)を小さな入れ物に入れ持っていき、たらして泡が出るかで確認し試料採集をした。次に城ケ島公園に行き周囲の展望を楽しむ。雪を残した富士山や伊豆大島が望まれる。食事を済ませた後、地質見学を行う。馬の背洞門、ポットホール、SO凝灰岩、海食洞、火炎構造などを見学する。順調すぎる進行で予定より早かったが14時のバスで帰路に就いた。

2017年5月24日水曜日

阿熊川

 30度を超える暑さの中、放散虫化石の試料を探しに、秩父盆地の阿熊川を歩いた。終点から不整合近辺まで簡易調査をしながら歩き、3ヶ所ほど泥岩サンプルを採集した。何れも泥がちな細粒砂岩と泥岩の互層で泥岩部のサンプルである。
 過酸化水素で処理をしたが結論から言うとどうも放散虫化石はいないようである。いままで埼玉県内の新生代の地層の放散虫化石を複数調べた。具体的には古い方から、秩父盆地、岩殿丘陵、狭山丘陵、東京層である。岩殿丘陵では放散虫化石が多数出るのだが、あとが出てくれない。地学の仲間との議論では陸に近い浅い海からは難しいとのことで、狭山丘陵と東京層がこれに当たる。また、秩父盆地もやや深そうな乱泥流堆積物の泥を対象に複数調べたが出てくれない。やや遠洋のゆっくりとたまる泥でないと出てくれないのかもしれない。

2017年4月30日日曜日

タカハシ望遠鏡

 日本の老舗の望遠鏡メーカーといえばタカハシとビクセンではないか?高価だが信頼性絶大のタカハシ、タカハシより安価で国産メーカの信頼性のあるビクセンといったところか。高校教育の現場では昔はタカハシを導入し、機材を長く使っていたことが多かったと思うが、最近は金額が高くなったせいでビクセンを選ぶケースが多い。
 私自身も30年前ボーナスでタカハシのEM1S赤道儀とFC76鏡筒を買い今でも使っている。今の職場もこの組み合わせの望遠鏡を同じく約30年前に2台購入している。使いが荒かったせいか私が来る前にEM1Sはダメっており(それでも20年弱現役?)、FC76をアリ型アリ溝を使いビクセンの架台に載せ復活させていたが、そろそろだめになりそうである。ストッパー部分の内部が変形しドローチューブ出し入れが不可能になりつつある。私のFC76は現在でも現役だが、EM1Sのほうは本体の電池ボックスの差込部分が壊れたりしてタカハシに修理をしてもらっているがそろそろ次を考える時期に来ている。さしものタカハシも30年でそろそろ引退かもしれない。

2017年4月9日日曜日

城ケ島研修

 今年度の臨海実習の案内者への説明会で城ケ島を訪ねる。10:00に城ケ島のバス終点に集合し、臨海実習のとき案内する島の西部を2時間半かけて細かく案内、食堂でマグロとシラスを食べる。午後は希望者をつのり島の南部や台地の上を案内、SO凝灰岩、海食洞、馬の背洞門、TP火山灰、旧軍の施設や砲台跡などを見学し、15時過ぎのバスで帰路につく。
 この企画が始まって8回目の城ケ島になる。今年はまた課題研究と臨海実習で最低2回は訪れることになる。回数が増えるだけではだめで、研究を発展させ内容的にも充実させていく必要がある。

鎌倉と観音崎

 3月末、春の旅行で鎌倉と観音崎を訪れた。鎌倉はたびたび訪れているので今まで訪ねていない場所を歩く。まずは、浄光明寺である。谷戸を切り開いてつくられたお寺の一つ、水戸光圀が来たことで有名。次に亀ヶ谷坂(切通し)を歩く、カメが引き返したとの伝承あり。そのあと、円応寺、閻魔大王など十王の像が有名。最後に鶴岡八幡宮を訪れ、お汁粉を食べて宿に入る。
 2日目は観音崎、途中引き潮で和賀江嶋がみられる。観音崎では自然博物館を見た後、海岸沿いを散策、途中微化石用の試料採集、さらに観音崎灯台を目指す、途中第2次世界大戦の砲台跡が2か所ほどみられる。開国直後に作られた灯台である。この周辺からは東京湾を出入りする大型船がよく見られる。食事の後、横須賀美術館を訪れる、谷内六郎の作品群が一見の価値があった。

2017年3月25日土曜日

自動導入と自動ガイド

 高校部活で所沢でM天体の写真を撮っている。ビクセンのスフィンクス赤道儀で自動導入をし、600mmの焦点距離の鏡筒にAPC-Sサイズのカメラをつけ5S~30Sの露出をかけている。自動導入についてはスフィンクスに任せて行っている。3点のアライメントを行った後、目的の天体を導入しているが入ったり入らなかったりで苦労していたが、試行錯誤した結果、次から目的の天体を入れるのだがなるべく近くの恒星を導入しそれで再度補正しアライメントしてから入れるとが画像内にほぼはいってくる。最後に天体を入れた際アライメントしなかった場合、導入した後いかに補正したかのコントローラー上のずれを覚えておいてこれとおなじように導入後にコントローラーの画面上で動かすと画像に入ってくれる。ただ機械の特性か導入直後は星が流れてしまい、数枚とるうちに安定し点像になってくれる。
 M天体の明るいものなどはこの方法で問題なくとれる。オリオンの大星雲、アンドロメダの小宇宙、プレアデス、二重星団、ヘラクレス座の球状星団、小規模な散開星団などである。何とか写ってくれるのが比較的明るい系外星雲やガス星雲で子持ち銀河、大熊座のM81と82、ソンブレロ銀河、環状星雲などである。一応明るい天体は写ってくれるが、あと一工夫が必要かと自動ガイドを考えている。導入した後、ガイド鏡をつけたオートガイダーでガイドをし、1000mm程度の鏡筒で30~60Sの露出をかけよりはっきりした写真を撮ることが可能かと考えている。ただそらがあかるいので露出時間がどれくらい伸ばせるかが難しい。

2017年3月19日日曜日

小川から寄居の岩石

 3月18日、指導する部活動で小川から寄居にかけて岩石を見て歩いた。2年前に企画したが果たせなかったものである。東武竹沢駅を降り金勝山をめざす。ここでは領家帯に属する花崗岩を観察、採集をする。埼玉では一番ではないが最も古い岩石のひとつである。天気が良く山頂からは小川盆地が望める。次に寄居のひすいを観察、採集する。ヒスイ輝石の純度が低いので宝石のヒスイではないが薄緑色の県内で一番かたい岩石である。荒川近くまで移動し鉢形城跡を見学、博物館を見学した後、荒川と深沢川とに挟まれた要害の地にあった高位段丘上の城跡を見学する。最後に荒川に降り流紋岩質の溶結凝灰岩を観察、試料採集を行い寄居駅に向かった。

2017年3月9日木曜日

高校入試

 3月2日に埼玉県の高校入試が行われた。理科は今年から試験時間が40分が50分に変更された。理科の難易度は若干やさしくなったようだが、各科目にそれぞれ記述式の問題がとりいれられ問題の傾向がかわってきてる。
 また採点側の問題だが、採点基準作りやその作業が今まで以上に時間のかかる作業になっている。
 本校では英語と数学で難しい問題を採用したが当然だが通常の問題より難しかったようである。

2017年3月5日日曜日

宮川湾~毘沙門湾

 久しぶりに三浦半島を歩いた。場所は城ケ島の対岸の宮川湾~毘沙門湾である。ちょうど城ケ島マラソンに重なってしまい、バスの予定や移動の道がちょうどコースに当たっていてやや大変であったが、3月の晴れの心地よい海岸歩きであった。
 地層は三崎層の凝灰質の砂泥互層で海岸線と走向とが近く、似たような岩相の繰り返しであった。観察されたものは、岩石や地層としては、キーベットになりそうな1m強のスコリア層、乱堆積層、目的であった石灰岩。構造的には小断層やデュープレックス構造。地形としては大正関東地震や元禄地震の際隆起した海食台、ポットホール群、海食洞などであった。
 地質見学コースとしては、三浦海岸駅からバスで毘沙門湾に行き、宮川湾まで出歩き、三崎港周辺からバスに乗る、半日コースになるのではないか。

2017年2月20日月曜日

フローリング

 マンションを絨毯からフローリングに替えた。約20年たち汚れや、劣化でそろそろ限界であった。
 3部屋と廊下の工事だが、家具の本体以外の中身をすべて移動しての工事はそれなりに大変であった。
 1週間ほど前から荷物の梱包をし、引っ越し業者に荷物を一時保管してもらう。月曜から工事が始まり、木曜日遅く完了、金曜夜に引き渡しがあった。張った直後はあまり歩き回れないとのことで、途中2日間の外泊をした。さらに、荷物が戻ったあと元に戻すのに2日ほどかかった、2週間強工事に費やしたことになる。
 フローリングの工事には直貼りと2重床があるそうだが、マンションの絨毯からの変更は直貼りが一般的なようで今回はこの工法であった。変更の印象は、下への音が響かせないため、クッションをいれていて、ふわふわする仕上がりになっている。若干違和感があるがマンションの場合これが合理的な選択であったようである。

2017年1月8日日曜日

GPSロガー

 スマホで歩いたルート記録できないかと探していたところ。ジオグラフィカをみつけ使い始めた。導入した後、地図の設定をして、調査用なので色など通常の2.5万図と同じようにする。
 最初に岩殿丘陵の調査に使う。デホルトでつかったが、記録の間隔や精度は満足のできるレベルである。かつて専用機でログがとれることを知っていたが、そのために数万を投資するのはいかがかと導入をしなっかったのだが、このアプリは十分満足のいくものである。電池の消耗も思ったほどなく1日は余裕で使えそうである。ただ、ピヨピヨのログの記録音や歩いていて時刻や上り下りのペースの報告は調査には邪魔であったので帰宅後、音声報告のないよう設定を変更する。帰宅後ログをグーグルドライブに落とし、カシミールで読み込み表示でき2次利用も問題なかった。
 2回目は小川町の地質巡検で使用する。現地に車で向かい、途中車で移動しながらの巡検であったが、ルートの記録は十分実用に耐えうるものであった。さらに今回はマーカー機能を利用した。ルート上のポイントでの記録である。マーカーをポイントに移動しポイントの名称、簡単なメモが残せる。ただ調査の複雑な記載は無理なので、ポイント名(Stop1など)と地層名など記録し、残りの詳細な記録は野帳に記録するのがベストである。帰宅後、ルートとマーカーを別々に落としカシミールで確認できた。
 山岳地域、特に沢沿いでどこまで使えるかは未知数だが、調査に相当使えるツールである。

小川の地質見学会

 地団研埼玉支部の新年例会に合わせての地質巡検に参加した。講師は東京支部の宮下敦氏で、地質学雑誌に論文掲載があったので依頼し巡検案内をお願いした。
 始めに小川町の木呂子の向い、金勝山の石英閃緑岩に相当する岩石を見学、続いて栃谷層(跡倉相当層)と秩父帯の間の狭い範囲に分布する特殊な地域を見学した。ここゾーンは御荷鉾緑色岩をマトリックスとし、角閃岩、輝緑岩、蛇紋岩、泥質岩をブロックとして含むゾーンで、変形をあまり受けていないことから、テクトニックメランジでなく、海溝での沈み込みに際し崩れ落ちたりしてできたものとの説明があった。またこの中の角閃岩は、ジルコンU-Pb年代からは480Ma、40Ar/39Ar年代からは430Maの年代が出ていて埼玉最古の岩石である。これらの岩石は石英閃緑岩などとともに西南日本内帯からスラストによって移動したと考えられるそうである。次に底痕のある栃谷層を見学した。
 また最後に車で移動し新しく見つかった吉見変成岩の露頭を見学した。金勝山石英閃緑岩の構造的な下位にあたる高温高圧型の変成岩で、砂質の片麻岩や角閃岩からなる露頭で、埼玉では自分自身は初めて片麻岩を見た。内帯から来た岩石だということになる。2時間ほどであったが中身の濃い見学であった。

2017年1月2日月曜日

兵庫と岡山

 3日目は兵庫と岡山の次の場所を訪ねた。
 姫路城・・・戦国時代に豊臣秀吉が改築、江戸時代初期に池田輝政が大がかりな改修を行い現在の姿になる。徳川幕府が西の外様大名に対する備えとした重要な拠点で、歴代の城主は徳川側の重要人物か就いている。その一人本多忠刻の正室が豊臣秀頼の正室でもある千姫がいる。歩いての印象のひとつは、石垣はうす茶色の柔らかい礫岩(?第三紀の岩石)がほとんどであったことである。
 倉敷美観地区・・・倉敷地区は江戸時代に代官所が置かれ、高梁川を利用した物資の集積地として発展。さらに明治維新後は、紡績業が盛んになり、現在の倉敷紡績株式会社などが誕生しています。また、水島地区は石油化学コンビナートで有名である。また、古い町並みが各地にありますが、そのひとつが市中心部の倉敷美観地区です。白壁に、なまこ壁などが特徴的な町並みで、一部が適度に観光地化される一方、未だに多くの人々が暮らしています。電線の地中化等歩いてみてきれいに整備されている印象であった。

島根と鳥取

 2日目は鳥取と島根の次の場所を訪ねた。
 足立美術館・・・実業家・足立全康がつくった近代日本絵画を中心とした美術館。横山大観と庭園が有名。大観の時代の作品はより新しい時代の作品群に比べるとつやっぽさがない印象がした。
 出雲大社・・・古事記を解釈すると、大国主神にアマテラス(大和朝廷)から、国の統治権を譲るように使者を出して命令をした。しかし、使者を懐柔して抵抗する大国主側に、「現世の政治は我が子孫がする。おまえはあの世のことをしなさい」と、最後通告をつきつけ、戦いに敗れた大国主神を祀ったのが出雲大社だという。このため神社の格、参拝の様式、しめ縄の形などが他の神社と全く違っている。
 鳥取砂丘・・・鳥取市の日本海海岸に広がる広大な砂礫地で、代表的な海岸砂丘、南北2.4 km, 東西16 kmに広がる。観光可能な砂丘としては日本最大である。その出来方は、そばにある千代川によってもたらされる砂が、海の流れによって浅海底に堆積する。それが波によって海岸に打ち上げられ季節風によって内陸側に積もって海岸砂丘を形成していると考えられている。

山陰山陽の冬

 2泊3日で山陰山陽を訪ねた。その印象をまとめておく。 
 高度1000m強の中国山地のためまったく違った冬になる。山陰は北西の季節風のため不順な天候になるが新潟などと違い雪の降り方は少ない。山陽は季節風による晴天が多くなる。ガイドは冬の山陰の天気予報はあてにならないと言っていた。往路は岡山まで新幹線を使い、伯備線を特急八雲で山陰に向かう。中国山地の分水嶺付近は積雪がみられたが下り始めるとすぐになくなった。また2日目は日本海岸をバスで移動したが、防風柵や大きな風力発電機、鳥取の街の雁木などは冬の季節風と荒天を特徴づけるものであった。