2019年12月31日火曜日

広島山口旅行②-山口・萩-

山口市、瑠璃光寺
 幕末に毛利氏が藩庁を置いたのち、明治以降もここが政治の中心、しかし人口の少ない県庁所在地である。瑠璃光寺は大内氏によって作られた寺院で、その中に立つ五重塔は室町時代の美しく秀でた建造物とされる。
秋吉台、秋芳洞
 地学的には有名な場所だが初めて訪れた。この地域の地質は古生代後期の地層(付加体)秋吉石灰岩層(秋吉帯)と呼ばれる。秋吉台はかつてはサンゴ礁であった巨大な石灰岩が露出する地域で、地上は典型的なカルスト台地であり、地下には鍾乳洞が発達している。観光で歩く部分の鍾乳洞は大規模で、延長1km、天井が高く35m以上の場所もあった。手が加えられ歩きやすくなっていて、また途中沢山の音声ガイドなどもあったが、一般のひとに理解してもらうには必要であろう。鍾乳石、石筍、石柱、フローストーン、石灰棚、ノッチ、洞内の地下河川など一通りのものが見学できる。
元乃隅神社
 日本海に面した山口県の北にある個人所有の神社で神社本庁に属していない。すぐ近くには「龍宮の潮吹」と呼ばれる海食洞に打ち付ける波が霧状に立ち上がる場所がある。切り立った岩石海岸は火山岩や凝灰角礫岩からなり地質図によると漸新世のものであり、日本海拡大と関係あるのかもしれない。
萩の町
 江戸時代に毛利氏の本拠地があった日本海に面した城下町。幕末から戦前にかけ多くの政財界へ人材を輩出した。時間の関係で旧武家屋敷街の菊屋横町周辺と重要文化財の菊屋家住宅を見て歩いた。藩の財政を支えた豪商の店、住戸、本陣である。りっぱな庭に籠をおく方形の石、有栖川宮熾仁親王を供した萩焼、伊藤博文からアメリカ土産の時計など珍しいものが見られた。

広島山口旅行①-宮島・岩国ー

年末に行った広島、山口旅行についてまとめておく。
宮島、厳島神社
 平清盛により大規模に整えられた海にせり出す神社。現在大鳥居が修復中である。造営に関わった大巌寺、見下ろす台地にたつ五重塔、豊国神社を見学する。外国の方が多く今年は観光客が最も多くなったとのことことである。名物の焼き牡蠣とつくりたてのももじ饅頭を食する。この島は領家帯の白亜紀の花こう岩類からなり、海岸の砂も花崗岩の風化した砂からなる。
岩国、錦帯橋
 江戸時代初期に吉川氏によってつくられた5連のアーチ橋。山の上にある岩国城・上位の士族の住居と城下町とを隔てる錦川を結ぶ橋で、有名でそばの山陽道から参勤交代の大名が見学に来たそうである。また杭州の西湖の石橋をモデルにしたといわれる。これも工事中で養生に覆われた橋の見学であった。

2019年12月22日日曜日

台風被害

 岩殿丘陵の地質巡検を行った。初めに物見山を訪ねたが、そばの高校の体育館ほどの敷地の駐車場には水害にあった家電や畳が1/4ほどの場所に置かれた。ちょうど来ていた市の方に聞いたところ、一時期は満杯でやっとここまで減ったとのことであった。丘陵の散策道では崩れている場所がありう回路が作られていた。丘陵を下った後、鞍掛橋そばの礫岩露頭を観察したのだが、川沿いのトイレは水没したらしく泥と流れてきた植物などがついていて使用不能になっていた。またここの都幾川右岸からは堰が作られていて用水が田んぼに引かれていたのだが大量の砂礫が堆積して機能しなくなっている。ここのところ台風の爪痕の報道はされなくなったが、いまだにその影響はのこっているようである。

2019年12月15日日曜日

地学研究大会

 地学研究大会で立正大学の熊谷キャンパスを訪ねた。比企丘陵の一角にぜいたくに土地を使ってつくられたキャンパスで教育施設としてはうらやましい限りである。
 個人的にはポスター発表を出した。題目は「放散虫化石から年代と環境を推定する-岩殿丘陵の研究-」である。この春の論文をポスターにしたもので。やや字が多くなり固いものになってしまった。
 大会では研究委員の報告と立正大学教員の堆積学と気象学の専門家の講演がありそれなりに有益な話であった。

2019年11月11日月曜日

池子層の巡検

 三浦半島活断層調査会主催の池子層の巡検に参加する。シロウリガイをメインテーマにした巡検である。実際の露頭、および保存化石礁をみて研究者の説明を受ける。縁弧海盆の堆積物?である池子層であるが海洋プレートの沈み込みの影響が相当あったようだ。それ以外に沖積低地での地震動(東北大震災)の影響、名越切通(池子層・逗子層)、大切岸、まんだら堂やぐら群を見る。実際に調査をしている人の解説なので得るものが多かった。
 シロウリガイ? 水深1000m前後の深海のプレートの沈み込みメタンを伴う水が湧出する場所に密集して棲息する。えらに硫黄細菌を棲息させここに、斧足で硫化水素を運び化学合成をさせその産物の有機物を得て生活する。硫黄細菌の酸化反応は次の物である。
 H2S + 1/2O2 → H2O + S + 49kcal

2019年10月20日日曜日

秩父の調査

 10月20日に夏の忙しさと、その終わりの体調不良のため延ばし伸ばしになっていた秩父の調査を行った。秩父の新第三系の2か所の層準の微化石用サンプル採集だが、初めて行ったところだが何とかなった。
 1週間前の土曜に台風19号が来て、埼玉でも川越など複数の地点で堤防の決壊があり、また複数の所で土砂崩れによる通行止めが発生し秩父でも雁坂峠トンネルの道など、まだ復旧していないところが多い。
 調査は川沿いなのだが水量は一時期より落ち着いたようだが、まだ平常より多く赤平川は渡れるはずもなく、その水は茶色くのにごっているので、川岸を注意しながら歩いた。

2019年8月24日土曜日

南八ヶ岳

 登山部で南八ヶ岳の硫黄岳と横岳を登った。硫黄岳と横岳は八ヶ岳火山の後半(20万~15万年前)に形成されたもので現在は浸食がすすみかつての姿を残すのは硫黄岳噴火口だけになっている。1日目は美濃戸口(1500m)から徒歩で赤岳鉱泉(2220m)へ。鉱泉ではガスの中、森の中にテントを張った。周囲はメボソムシクイの声が響き夜中にはシカの声が聞こえた。
 2日目は亜高山帯の樹林の急登を赤岩ノ頭へ。高山帯をガスおよび雨の中、硫黄岳(2760m)へ、何も見えず、シャクナゲの樹が多く花の時期に来れば見ごとのよう、足元には食いかけのハイマツの球花が多数落ちる。次に横岳へ硫黄岳山荘で休憩、コーヒーがおいしかった。道沿いにはコマクサが目立った。この周辺は南八ヶ岳で最も高山植物の豊かな場所である。稜線沿いの道は後半鎖場があり、晴れていれば高度感があったのではなか。横岳山頂(2826m)で記念撮影。来た道を引き返す。ホシガラスを見る。天気が良かったら峰の松目(火山活動最後半の溶岩円頂丘で形成年代は15万~10万年前)のピストンを考えていたが省略。赤岩ノ頭からの下りでは、新しく倒れた木が多数みられる場所があった。
 3日目の夜半から前線による雨が降る。その中テント撤収と下山、北沢は水量を増していて、さらに増水すると危険である。美濃戸口のバス停の山小屋で風呂に入り3日間の汗を流す。

2019年8月15日木曜日

白神山地と岩木山-東北旅行2-

 旅行の後半は青森県の白神山地と岩木山を訪ねる。
白神山地
 青森県の南西部から秋田県北西部にかけて広がっている標高1,000m級の山地(山岳地帯)のことをいう。 白神山地は1993年日本で初めてのユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録された。人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布している。ブナの木は従来、椎茸栽培以外にはあまり役に立たない木であったために伐採を免れた。世界遺産地域は、中央部の核心地域と、周辺の緩衝地域に分かれ、世界遺産登録時より開発を行わず、現状のまま保護されることになっている。従って、これらの地域には遺産登録以前からあった登山道以外には道はなく、今後も恒久的に整備されない予定である。特に核心地域には道らしい道はない。暗門地域を散策する豊かなブナ林とともに空にはクマタカが旋回していた。
岩木山
 青森県弘前市および西津軽郡鰺ヶ沢町に位置する円錐形の成層火山で津軽富士とも呼ばれている。山頂は三つの峰にわかれており、これらは火山活動により生じた外輪山の一部、および三峰の中心にある岩木山は鐘状型の中央火口丘である。山頂からは日本海、白神山地、八甲田山等360度の展望がある。

八幡平と八甲田山-東北旅行1-

 夏の東北旅行の場所を記録しておく。前半は岩手県から青森県にかけて訪ねた。
八幡平
 およそ100万年前に噴出したいくつかの火山でできていて、山頂が台地状になった成層火山だと考えられている。頂上部には9千~5千年前に発生した水蒸気爆発により多くの火口ができている。その火口に水がたまり、八幡沼やガマ沼、メガネ沼などの火口沼が形成された。アオモリトドマツやブナの原生林、針葉樹林帯が形成されている。
十和田湖
 十和田火山の噴火で形成された二重カルデラ湖で最大深度327m、現在も活火山に指定されている。唯一の流出河川である奥入瀬川が太平洋に向けて流れ出ている。
奥入瀬渓流
 奥入瀬川の十和田湖東岸の子ノ口から北東に約14kmにわたる奥入瀬川の上流の渓流部分。いくつもの滝が点在し、渓流沿いには車道とともに遊歩道が整備されている。
八甲田山
 青森市の南側にそびえる、18の成層火山や溶岩円頂丘で構成される火山群である。明治35年に青森の歩兵第五連隊が雪中行軍の演習中に記録的な寒波に由来する吹雪に遭遇し、そのほとんどが遭難した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)が発生したことで有名。1600mに満たない山地ではあるが、青森県を東西に二分し、それぞれの気候の特徴に大きな影響を与えている。夏季は太平洋から冷たく湿った北東からの季節風「やませ」が吹き込み、青森県の太平洋側は濃霧・冷害に見舞われる。対して八甲田山の西側は優良な稲作地帯である。冬季は日本海から湿った北西の季節風が吹き、津軽地方に雪をもたらす、一方、八甲田山の東側は晴天率が高く降雪も少ない。

2019年8月11日日曜日

青木ヶ原樹海

 部活で青木ヶ原樹海を歩いた。西暦864~866年にかけて富士山北西部で起こった大規模な割れ目噴火で、この結果として北西山麓を溶岩で広く埋め尽くした。この上に約1300年をかけてつくられたのが青木ヶ原樹海である。生物の教員とともに歩いたのだが、1300の割に混合林で極相に進んでないので遅いのではとの話題が出た。標高(900-1200m)と溶岩のでこぼこした地形のせいかもしれないとの話だが、ここが極相に至ると夏緑樹林帯になるのではないか。
 極相は緯度と降水量によって決まってくる。降水量の多い日本の場合でまとめると、関東地方以南ではシイ・カシ・タブノキ類が優占する照葉樹林がそれにあたる。もう少し寒い冷温帯だとブナを中心とした夏緑樹林が極相となる。亜寒帯では本州ではアオモリトドマツ(オオシラビソ)・シラビソが,北海道ではエゾマツ・トドマツなどの針葉樹が優占する森林となる。照葉樹林の極相が成立するような気候条件下でも,山の尾根筋や,風あたりの強い場所などでは,草地や低木林のままにとどまることもある。また,森林になってもカシやシイで構成された標準的な照葉樹林にならず,モミやツガなどの針葉樹林を多く含んだ森林として安定することも多い。

2019年8月4日日曜日

臨海実習

 7月31日、8月1日と第4回の理数科臨海実習を行った。梅雨が明けてすぐで暑さのなかでの行事であった。1日目の海洋生物観察はぬるいくらいの水温で助かった。説明補助の方からとりたての海ブドウをいただいた。ヒサラガイ(多板網)、クサフグ、貝殻をなくした軟体動物のウミウシなどを見た。
 2日目の地質巡検は30度弱の晴天のもと2時間強のフィールドワークであったが、海風のためまあ暑かったという程度であった。城ケ島の第三系は軟らかいので半年も過ぎると微妙に露頭が削られているようで、火山豆石が見つかりづらかったりするのだが、今回は長津呂湾の南できれいなズーフィコス化石が見つかった。いままで見たものの中で最もりっぱなものである。

2019年7月23日火曜日

人類の歯の進化

 類人猿との共通の先祖から現生人類が進化する過程でその顎(歯列弓)が長方形型からU字型、そして放物線型になり、同時に歯も小さくなったことが知られている。これは食生活および生活形態の変化が原因だと考えられてる。
 細かく見ると次のような変化がある。歯数が32本になったのは旧世界猿である。ヒト以外の他の霊長類ではオスの犬歯は歯列の咬合面から外へ強く突出しているが、私たちの犬歯は他の歯の噛む面とほぼ同じ高さになり小型化している。また200万年前ころの猿人類(アウストラロピテクス・ロブストス)では現代人と違って第3大臼歯が最も大きく,第1大臼歯が最も小さい歯であった。また、ネアンデルタール人と比べても現生人類はより小さな歯になっている。
 次に日本人の歯についてだが、縄文時代から弥生時代に大型化した、これは大陸から来た弥生人が縄文人と混血したからと考えられている。次に鎌倉から江戸時代は小型化している。しかし明治以降大型化していてこれは食生活の西洋化が影響していると考えられる。また現代、顎の大きさの変化はあまりないが歯が大きくなっているためまた不正咬合の割合が増えている。

2019年6月24日月曜日

風と共に去りぬ

 「風と共に去りぬ」を観る。19世紀アメリカ南部の裕福な家庭て育った、美人で勝気な女性が逆境の中で頑張る、その愛と人生をあつかった物語である。無くなってしまった古き良き(?)生活を懐かしむきらいが強いが舞台装置が派手で展開が早く面白い作品である。しかし、様々な問題を包含する作品である。それらは次のようなものである。19世紀アメリカの南北問題(作品内ではあまり触れられていない)、米国内では少数派のアイルランド人の存在、黒人奴隷の問題(作品内の描き方が白人視点)、KKKの問題(肯定的にとらえている)。

2019年6月15日土曜日

秩父盆地の地史

 横瀬の周辺で化石試料を採集し、簡易調査を行った。調査したのは平仁田層で泥岩や砂質泥岩が主体で砂岩や礫岩が挟在されている地層でスランプを感じさせる岩相である。またここ半年ほど秩父盆地を歩く機会が多いので秩父盆地の発達史を自分なりに整理してみる。
 この地域に中新世の初め、展張場が発生し堆積盆が形成される。急速な堆積面の低下の
中で基底礫岩から始まり泥岩に至る彦久保層群が堆積する。
 中新世の中期になると堆積盆の中心の南への移動と沈降により深化が継続する。タービダイトを主体とする小鹿野町層群が堆積する。
 秩父盆地形成も後半になると、さらに南に堆積盆の中心が移動するとともに展張場が終了し、それに伴い堆積相がかわる。泥岩や砂質泥岩を主とし砂岩や礫岩を挟むスランプの要素がはっきりするようになる。このとき西部や南部で断層運動があり、断層周辺ではそれに伴う礫層等がたまった。ここで堆積したのが秩父町層群である。最後に一番南部で粗粒堆積物が堆積し堆積盆地が消滅した。

2019年5月26日日曜日

課題研究野外調査

 5月25日に課題研究の調査で生徒4人とともに荒崎を訪ねた。海岸沿いは内陸(30度超)に比べ温度は低く海風もあってまだ歩ける天候であった。バスで荒崎まで行き、岬の海岸を反時計まわりに歩いた。海岸は水着で海遊びをする人が多いなか私たちは調査。三崎層のスコリア質の砂泥互層を観察、泥岩のサンプルを採集し、ローム層との不整合を見学。多数のトビが上空を舞うなか大正関東地震の隆起海食台上で昼食をとる。午後は海食洞見学、試料採集、初声層との不整合を観察し日程を終了した。

2019年5月11日土曜日

歯の進化

 歯とは咀嚼するために口にある最初の器官で外側からエナメル質、象牙質、歯髄からなる。固いため化石として残りやすく重要な示準化石でもある。
 最初に歯を獲得したのは魚類の無顎類で、現在のサメの体表面にみられる微細な盾鱗(エナメル質や象牙質からなる)が起源と考えられている。またこれとは別に顎を獲得し(顎口類)たが当初歯はなかったがその後、歯と顎が組み合わされることになった。
 初期の歯を持つ化石としてコノドントが知られている。カンブリア紀から三畳紀(6億年前から1億8千万年前)の地層から発見される歯状の微化石である。一般に大きさは0.2ミリ~1ミリ程度の大きさで原始的魚類の歯であると考えられている。
 現生の魚類の中でも歯が進化したのはサメの仲間で、その歯は獲物を捕る時に抜け落ち、すぐに次々と生えてくる。歯の後ろに6列から10列もの予備の歯の控えていて、歯が抜け落ちると予備の歯がベルトコンベアー式に前にでて埋めるようになっている(多生歯性)。
 その後陸上に脊椎動物が上陸し両生類となりさらには虫類に進化するが、その特徴は一生の間に何度も歯が生え変わること、そしてすべての歯の形は円錐形で、同じ形の歯が並んでいることで、顎が成長するにしたがい、歯が合わなくなるので新しい歯が必要になるため何度も生え変わる。
 次に現れたのが哺乳類である。その歯の特徴は乳歯と永久歯があって歯が一生の間に二度生える(二生歯性)こと、歯の数が決まっていて、切歯、犬歯、小臼歯、大臼歯の4種類の形があること、そして歯の根の部分が顎の骨の中に埋まっていること(歯槽がある)である。

2019年5月2日木曜日

掬水

 多摩湖畔の掬水亭にて食事をする。寡聞にして「掬水」の意味を知らず調べてみた。
唐の于良史の詩からとられているようでそれは以下のものである。
  春山多勝事、賞翫夜忘帰
  掬水月在手、弄花香満衣
  興来無遠近、欲去惜芳菲
  南望鳴鐘処、楼台深翠微
 禅宗により深い意味づけがなされて使われているが、単純に読むと春の野山をめでる詩に読める。
 春の山は素晴らしいことが多く帰るのも忘れるほどだ、手に水をすくい月を愛でる、衣につく花の香、花の香りにどこまでも行ける、楼台の音に振り替えれば芽吹きの蒼い中に隠れている。野山を歩きたくなる詩である。

2019年4月28日日曜日

荒崎

 授業の課題研究の予備調査で三浦半島の荒崎を訪ねる。三崎口駅からバスで荒崎に向かい岬の周辺を調査サンプル採集をしながら歩いた。海岸の地層は中新世から鮮新世にかけての三崎層でスコリア質の砂岩礫岩と泥岩の互層が主体である。その上に不整合を境に武蔵野ロームがのる。東京軽石層がローム層の下位に確認できる。岬の先端が最下位で東に進むに従って上位が現れ小さな漁港をすぎるとは初声層の砂岩・礫岩に移り変わる。地層の変化や不整合、海食洞などが観察できる初心者に素晴らしい地質見学コースである。このあと職場に帰り放散虫化石の抽出と鑑定を予定している。

2019年4月6日土曜日

岩殿丘陵の放散虫化石

 論文を投稿し掲載された。「岩殿丘陵に分布する中新統上唐子層と都幾川層群の放散虫化石と年代」川博紀要19号(2019)で、私が地球科学部で行った岩殿丘陵での放散虫化石研究をまとめたものである。
 知り合いからここから出るよとの情報を頼りに研究をスタートし、神奈川の鈴木進氏に抽出方法の教示や鑑定をお願いし、さらにデータが出そろい一応まとめた後、ある事情から鈴木紀毅氏に鑑定、査読をお願いした。特に鈴木紀毅氏には放散虫研究の方法、論文の書き方などこと細かく指導してもらい、なんとか論文として完成させることができた。なお論文は川の博物館のホームページでpdfファイルにて近日公開される予定である。

2019年3月30日土曜日

横浜を歩く

 横浜を観光で歩いた。場所は三渓園、中華街、元町、山手である。
 三渓園は横浜港の南の海に突き出た台地にある庭園である。庭園は標高40m弱の開析つつある下末吉台地を改変してつくられたもので、明治の生糸で財を成した原三溪がつくったものがもとになる。庭園の中央にある池の周りには日本各所から移築した歴史的な建物がある。次に中華街に向かった。ここは現在の日本大通り駅のある砂州の内側の沼が埋め立てられた横浜港の発展とともに開発された地域で、それとともに華僑が住み着き様々な歴史があったが現在、中華街として栄えている。関帝廟と媽祖廟を見学する。その派手さが中国の宗教を感じられる場所である。このあと元町を歩く、横浜港の開港に伴い山手に住み着いた外国人の需要にこたえるための商売が起源となって発展したお洒落な商業地域である。最後に山手を歩く、下末台地上の外国人が居留した発展した地域で現在でも高級住宅街のようである。外交官の家(これは移築されたもの)、カトリック山手教会、外人墓地などを見て歩く。地形的にも歴史的にも見どころの多い場所である。

2019年3月27日水曜日

寄居のヒスイ

 地球科学部で寄居のヒスイの産地を訪ねた。ここのヒスイはヒスイ輝石-石英岩といいヒスイ輝石の含有量が少ないので厳密にいうと宝石のヒスイではない。ヒスイについて簡単にまとめる。
 ヒスイには硬玉(ジェダイト)と軟玉(ネフライト)がある。このうち硬玉はヒスイ輝石が90%以上のもので本ヒスイという。ヒスイ輝石(ジェダイト)は、高圧でできた変成岩中に含まれる。具体的には海洋プレートの沈みこみ帯、地下数十キロの付加体で生まれる。特に蛇紋岩中のものは割れにくい塊状で産することがあり、これが宝石のヒスイになる。
 化学的な変化としてはアルバイト(曹長石)がヒスイ輝石になると考えられていて以下のような化学反応が考えられている。
 NaAlSi3O8 (曹長石)→ NaAlSi2O6(ヒスイ輝石) + SiO2

2019年3月17日日曜日

福岡河岸記念館

 福岡河岸記念館を訪ねた。ちょうど離れの特別公開をやっていたので、その全容を見ることができた。江戸末期から明治にかけて栄えた新河岸川の回漕問屋のひとつ福田屋の店舗兼住居、接客用の3階建ての離れ、蔵を見学。特に離れは、国会議員をやっていた当主が木材、ガラスなどの素材やその細工などにお金をかけた豪勢なものである。それ以外に住居の天井の低さや階段の急なことなど当時の住居の特徴が印象的であった。
 また、明治に現在の西武新宿線が開通(本川越~国分寺)し、物資輸送がそちらに移り、そのため回漕問屋の当主が新河岸川沿いの衰退を懸念して現在の東武東上線を建設に尽力したことなどは初めて聞いた話である。

2019年3月7日木曜日

高校入試

 2月28日に埼玉県の高校入試が行われた。私は担当教科の理科の採点を行った。問題構成はいつも通り基礎問題、地学、生物、化学、物理の5つの問題からなる。難易度は物理が難しかった、また今年の傾向としては文章で説明する問題が基礎問題以外に各問いに配置されていたことで、そのなかでも生物と化学の採点に時間がかかった。説明問題は客観問題に比べ受験生が本当に理解しているかどうかを確認できる問題であることは確かである。しかし、科学的に可能性のあるものを〇にするとの採点基準のある問題では、中学生があてずっぽうで書いた大学生でも知らないような物質を調べて、解答に〇をつけるような状況が生じていて、なにかへんである。その生徒がきちっと勉強してきたかは客観問題で充分判断はできるので、採点のあいまいさを排除する意味でも個人的にはその方がよいと思っている。

2019年3月3日日曜日

微古生物学リファレンスセンター研究集会つくば大会

 放散虫の指導を受けている先生の紹介で、筑波大学で行われた微古生物学の研究発表会に参加した。放散虫、コノドント、珪藻等の最新の研究成果がレポートされた、それぞれ参考になった。当たり前だが化石の記載にとどまる話でなく、それを利用して歴史時代の津波の解析や大陸移動や衝突さらにその際の環境変化などが研究、報告された。またそれ以外に放散虫の同定ソフトの開発や有孔虫の内部構造の非破壊観察などのレポートがあった。
 昼に放散虫の指導してもらっている方に論文発表のための顕微鏡写真の撮り方を教えてもらったが、難しく自身の使っている機材に以下に適応させるかこれから試行錯誤するようである。

2019年2月10日日曜日

理科教育研究発表会

 2月9日に埼玉大学で理科教育研究発表会が開かれた。前日から大雪が心配され、閉会式がなしの短縮日程になったが、雨雲が関東の南に限られ雪はあまり積もらず交通の問題は生じなかった。
 私達は理数科の課題研究で行った「観音崎の放散虫化石年代」でポスター参加をした。生徒もポスター発表は初めてなので経験になったようである。また、午後の口頭発表は地学会場に参加したが、地学分野は8本中5本が天文、3本が地質、陸水であった。高校生にとっては私が扱った化石と比べると天文のほうがテーマ設定と機材さえあれ一応データがとれるので形になるようで、化石は専門家に鑑定してもらわないと精度が維持できないのためレポートになりにくいかもしれない。

2019年2月3日日曜日

秩父調査

 微化石のサンプル採集のために、秩父盆地の蒔田川と赤平川沿いを歩いた。12月に採集したサンプルがほぼ処理を完了したので、それ以外の場所のデータを強化するための採集である。
 秩父は普段生活している川越より一段寒く、週末に雨だったものが雪であったようでさらに日陰には雪が残っていた。ただ確実に暖かくなっており太陽が出て風のあまりない昼は着込んで歩いていると汗をかく陽気で、遠くの空にはパラグライダーがふわりと浮かんでいた。また最近フィールドを歩いて感じるのだが、空き地に太陽パネルを設置しているのを多く見かける。地球にやさしい再生可能エネルギーなのでこの流れは進んでほしい。

2019年1月3日木曜日

冬の石川県を訪ねる

 年末に北陸新幹線で冬の石川県を訪ねた。北陸新幹線が金沢まで開通した当初の混雑がなくなったとのと、まったく行ったことのないので旅行先として選択した。訪ねたところを中心に少しまとめてみる。今回は雪の北陸ということで専門の地質は無しである。
 金沢では永平寺、山代温泉、兼六園、金沢城、ひがし茶屋街などを訪ねた。永平寺は福井県の禅宗の寺、鎌倉の建長寺より小さい。山代温泉は内陸にある単純泉で、静かな温泉街である。宿では一向一揆太鼓を鑑賞した。兼六園は金沢城の背後にある台地上の庭園でちょうど雪が積もっていて雰囲気が良かった、城の水の確保の意味もある。金沢城は建物が失われていたが、現在1つ1つ復元されつつある。ひがし茶屋街は茶屋文化の遺構で芸者と旦那衆がはぐくんだ文化が興味深かった。時代としては一向一揆の戦国時代(一向一揆太鼓)、加賀百万石の文化(金箔、和菓子)、北前船の影響(茶屋の文化)、明治以降(陸軍の駐屯、経済的な沈滞)、北陸新幹線の影響がある。
 能登では和倉温泉、輪島、のと鉄道を訪ねた。和倉温泉は食塩泉である。有名な加賀屋に泊まった、文句のつけようのない設備、対応、食事であった。館内の美術品巡りに参加した。温泉は秋が観光の中心のよう、冬はカニやブリなど食べ物はおいしい。輪島では朝市を訪れた。地元の海産物の販売が多い。輪島塗の工房を見学したその手のかかる様子を十分教えられた。有名な棚田を見学、海に落ち込む傾斜に作られた棚田である。最後にのと鉄道にのる。穴水駅から和倉温泉駅まで乗車したが、第3セクターで途中停車し風景の解説をするなど様々な営業努力をしている。なおこの路線はJR時代輪島まで伸びていた。能登は石川県の中でも人口減少に悩む地域、金沢新幹線の恩恵は必ずしも現れていない、一向一揆の戦国時代の文化がある。
 冬の北陸は北西の季節風が強く気温が低い、また日射量が少なく半分融けかかった雪が降るのが特徴で、関東地方とは違っている。荒れた日本海と風の冷たさが印象に残る。

2019年の天文現象

2019年の天文現象で部活動に利用できそうなものをまとめる。
1月4日頃:しぶんぎ座流星群極大
1月6日:部分日食
1月頃:はやぶさ2が小惑星竜宮に着陸
2月19日:スーパームーン
2月末頃:水星の観察好期
6月11日:木星衝
6月末頃:水星の観察好期
7月10日:土星衝
8月13日頃:ペルセウス座流星群極大
9月13日:中秋の名月
12月14日頃:ふたご座流星群極大
12月26日:部分日食