2019年3月30日土曜日

横浜を歩く

 横浜を観光で歩いた。場所は三渓園、中華街、元町、山手である。
 三渓園は横浜港の南の海に突き出た台地にある庭園である。庭園は標高40m弱の開析つつある下末吉台地を改変してつくられたもので、明治の生糸で財を成した原三溪がつくったものがもとになる。庭園の中央にある池の周りには日本各所から移築した歴史的な建物がある。次に中華街に向かった。ここは現在の日本大通り駅のある砂州の内側の沼が埋め立てられた横浜港の発展とともに開発された地域で、それとともに華僑が住み着き様々な歴史があったが現在、中華街として栄えている。関帝廟と媽祖廟を見学する。その派手さが中国の宗教を感じられる場所である。このあと元町を歩く、横浜港の開港に伴い山手に住み着いた外国人の需要にこたえるための商売が起源となって発展したお洒落な商業地域である。最後に山手を歩く、下末台地上の外国人が居留した発展した地域で現在でも高級住宅街のようである。外交官の家(これは移築されたもの)、カトリック山手教会、外人墓地などを見て歩く。地形的にも歴史的にも見どころの多い場所である。

2019年3月27日水曜日

寄居のヒスイ

 地球科学部で寄居のヒスイの産地を訪ねた。ここのヒスイはヒスイ輝石-石英岩といいヒスイ輝石の含有量が少ないので厳密にいうと宝石のヒスイではない。ヒスイについて簡単にまとめる。
 ヒスイには硬玉(ジェダイト)と軟玉(ネフライト)がある。このうち硬玉はヒスイ輝石が90%以上のもので本ヒスイという。ヒスイ輝石(ジェダイト)は、高圧でできた変成岩中に含まれる。具体的には海洋プレートの沈みこみ帯、地下数十キロの付加体で生まれる。特に蛇紋岩中のものは割れにくい塊状で産することがあり、これが宝石のヒスイになる。
 化学的な変化としてはアルバイト(曹長石)がヒスイ輝石になると考えられていて以下のような化学反応が考えられている。
 NaAlSi3O8 (曹長石)→ NaAlSi2O6(ヒスイ輝石) + SiO2

2019年3月17日日曜日

福岡河岸記念館

 福岡河岸記念館を訪ねた。ちょうど離れの特別公開をやっていたので、その全容を見ることができた。江戸末期から明治にかけて栄えた新河岸川の回漕問屋のひとつ福田屋の店舗兼住居、接客用の3階建ての離れ、蔵を見学。特に離れは、国会議員をやっていた当主が木材、ガラスなどの素材やその細工などにお金をかけた豪勢なものである。それ以外に住居の天井の低さや階段の急なことなど当時の住居の特徴が印象的であった。
 また、明治に現在の西武新宿線が開通(本川越~国分寺)し、物資輸送がそちらに移り、そのため回漕問屋の当主が新河岸川沿いの衰退を懸念して現在の東武東上線を建設に尽力したことなどは初めて聞いた話である。

2019年3月7日木曜日

高校入試

 2月28日に埼玉県の高校入試が行われた。私は担当教科の理科の採点を行った。問題構成はいつも通り基礎問題、地学、生物、化学、物理の5つの問題からなる。難易度は物理が難しかった、また今年の傾向としては文章で説明する問題が基礎問題以外に各問いに配置されていたことで、そのなかでも生物と化学の採点に時間がかかった。説明問題は客観問題に比べ受験生が本当に理解しているかどうかを確認できる問題であることは確かである。しかし、科学的に可能性のあるものを〇にするとの採点基準のある問題では、中学生があてずっぽうで書いた大学生でも知らないような物質を調べて、解答に〇をつけるような状況が生じていて、なにかへんである。その生徒がきちっと勉強してきたかは客観問題で充分判断はできるので、採点のあいまいさを排除する意味でも個人的にはその方がよいと思っている。

2019年3月3日日曜日

微古生物学リファレンスセンター研究集会つくば大会

 放散虫の指導を受けている先生の紹介で、筑波大学で行われた微古生物学の研究発表会に参加した。放散虫、コノドント、珪藻等の最新の研究成果がレポートされた、それぞれ参考になった。当たり前だが化石の記載にとどまる話でなく、それを利用して歴史時代の津波の解析や大陸移動や衝突さらにその際の環境変化などが研究、報告された。またそれ以外に放散虫の同定ソフトの開発や有孔虫の内部構造の非破壊観察などのレポートがあった。
 昼に放散虫の指導してもらっている方に論文発表のための顕微鏡写真の撮り方を教えてもらったが、難しく自身の使っている機材に以下に適応させるかこれから試行錯誤するようである。