2015年8月31日月曜日

「永続敗戦論」

 「永続敗戦論」、戦後日本の核心、白井聡著、太田出版を読む。戦後の日本がどう歩んできたかをまとめたもの。
 アメリカがとった対日政策がいかにアメリカのために行われたか。天皇を中心とし国民が国家のために殉じる国体を守ろうとした天皇を含む支配階層。負けたことを肯定しない支配勢力が、敗戦といわず終戦いうことの意味。戦後の保守政治はアメリカにいかに尻尾をふったきたか。安倍首相をはじめなぜ保守はアジアを敵視しアメリカに尻尾をふるか。アメリカに干渉されたり、自身に不都合なことはいわない領土問題。
 韓国や台湾に共産主義との対決を押し付け、民主主義もどきを謳歌していた日本。非核3原則をうったえかつ米軍の核の傘に入る日本。九条で戦争参加を拒否しながら朝鮮戦争・ベトナム戦争で高度経済成長をした日本。米ソ対立のまではアメリカが日本を守る意味はあったが、ソビエト崩壊以降は搾取の対象である日本、TPPはこの流れの中にある。アメリカは日本を独立国と思っていない、かつ実際に独立国でない日本。
 いままであまり大っぴらに語られてはいない、戦後の政治のまた国民の実際の姿を描写した評論である。自身の断片的な理解がつながった感じがする。戦後を終わらせなければ明日の日本はないという思いがした。

2015年8月29日土曜日

隠岐の歴史

 縄文時代から人が住む。古くから遠流の島として知られる。もっとも有名なのは後鳥羽上皇、後醍醐天皇である。
 後鳥羽上皇は鎌倉時代の初めに承久の乱で敗れ隠岐の中ノ島に流されここで一生を終える。隠岐には牛突きという闘牛の伝統があるかこれは上皇をなぐさめるため始まったとされる。
 後醍醐天皇は鎌倉時代の末に元弘の乱で敗れ隠岐の島後に流されたが、1年後脱出し権力の座に返り咲いている。
 江戸時代には島後の西郷港が良港であったため、北前船の寄港地となり各地の歌が残っているそうである。
 明治初め、隠岐騒動が起こる。これは松江藩の過酷な支配に反対して、住民がこれを追い出し島民自治を行ったものである。しかし、この騒動も明治政府が乗り出し1年弱で騒動は鎮圧された。隠岐にはほとんどお寺がない、かつては平安時代からの国分寺があったのだが、現在あるのは新しいものである。これは隠岐騒動の直後にあった明治政府の廃仏毀釈の際に島民の恨みが仏教施設に向けられ徹底的な破壊をうけたとのことである。

2015年8月27日木曜日

隠岐の地形・地質

 一般ツアーで世界ジオパークに認定されている隠岐を訪ねる。隠岐の地形・地質についてまとめる。
 島根半島の北40~80kmに点在する日本海にある4つの有人の島を中心とする島々からなる。4つの島は島前(中ノ島、知夫里島、西ノ島)と島後で構成される。日本の大陸地殻の連続し氷期には陸続きになる。
 隠岐で一番古い岩石は2.5億年前の隠岐片麻岩で日本が大陸の東の縁にあったときの岩石である。次の時代の岩石としては中新世の日本海拡大の際の堆積物や化石が知られている。現在の位置に来てから鮮新世に火山活動が起こる。これによって隠岐の大地の大部分が作られることになる。またこの火山活動の際、アルカリ岩が噴出している。島前の3島はかつての巨大なカルデラと中央火口丘が水没し浸食を受けたものであるが現在でもその様子が展望台からは偲ばれる。
 ps.アルカリ岩とは通常よりK、Naが多い火成岩。ホットスポットなどにみられマントルの部分溶融した際にできるとされる。日本は非アルカリ岩が一般的で隠岐の火成岩は最もアルカリ成分の高い岩石がみられる。

2015年8月25日火曜日

「科学者は戦争で何をしたか」

 「科学者は戦争で何をしたか」(益川敏英,集英社新書)を読む。ノーベル賞科学者が科学と戦争の関係そして軍事強化に傾く現在日本についてまとめた本。
 はじめに、近代に科学がいかに戦争に使われてきたかを述べる。具体的にはダイナマイト、殺虫剤(毒ガス)、無線技術など。次に、第二次世界大戦中、科学者はなにをしたかが語られた。原子爆弾をつくったマンハッタン計画。これに対して核廃絶を訴えた科学者の存在(「ラッセル・アインシュタイン宣言」など)、しかし科学者はその使用や増強に全く関与できなかったこと。
 現代は研究領域がより細分化され全体像がつかみにくくなっている。また軍学協同が進み、巨大な資金が役に立ちそうな分野に投下されるようになっている。さらに民生用の技術が軍事用に利用される(ディアルユース)問題が顕著になっている。
 日本の軍事強化への不安が述べられ、自身も参加する「九条科学者の会」の設立に至った経緯がまとめられる。
 何か所かで自身が科学者が二足のワラジをはいていたといっている、これは研究活動と平和活動であるが、恩師坂田先生の教えだそうである。また最後に科学者である前に人間たれとまとめている。 

2015年8月19日水曜日

膝痛

 1月以上、左膝の痛みに悩まされる。症状は主に階段を降りるとき、また膝を完全に曲げた時に左膝の内側に軽い痛みを感じる。
 登山を控えていたので心配で、まず外科に行った。レントゲンを撮った後の医者の見立ては骨の間隔や軟骨に問題はない、腱かもしれないとのこと、ここではそれでストップ。
 次に、運動をやっている複数の人にきいたことをまとめると、どうも老化による筋力の衰えが膝に来ているようである。また、骨折の際1月強足を動かさなかったのもきいているのかもしれない。そういわれると、昨年の夏の登山の際も下りではやや膝の調子に違和感(バランスをとるのが大変)を覚えていたことや、骨折の際も通常のバランスの崩れを膝が対応できず足首の部分にいつも以上の負荷がかかったとも思われる。
 療法として2つある。1つは対症療法で登山用品店で聞いたところ、膝の負荷を緩和するサポーターと登山の際には下りを中心にストックをつかうこと。この対応で夏の登山は乗り切った。
 もう一つは根本的な治療で膝のトレーニング。膝の周囲の筋肉を少ない負荷の運動で毎日トレーニングすることで、膝を強くすること。
 膝痛で悩んでいる人が多いせいか調べてみると複数のサイトで対応法が書かれている。

2015年8月18日火曜日

「憲法の創造力」

 「憲法の創造力」(木村草太著、NHK出版新書)を読む。
 マスコミで取り上げられる憲法にかかわる政治問題の法律的な争点、問題点がどこにあるかを解説した教養書。
 具体的には次のような問題が取り上げられている。君が代不起立問題、日本的多神教と政教分離、公務員の政治的行為の何が悪いのか?、憲法9条の創造力、等々。
 全体を通しては今当たり前に語られる(主にマスコミによって喧伝されている)常識がいかに政治的にゆがめられているかを感じる。
 憲法を良くするのは、改憲することでない。憲法に書かれている財産を創造力を駆使して問題解決のためにどのようなルールを創造するかであるとしている。
 相当読みやすく書いているのだろうが、正確を期すため判例が数多く引用されているのでさらっと読み飛ばす類の本ではない。

2015年8月17日月曜日

仙丈岳

 登山部の夏山山行で仙丈岳に登った。高校時代、狭山登山部を含めての3回目である。
 前日に北沢峠のテント場で宿泊し翌日午前中の登頂で、当日は晴れで特に10時ころまではほとんど雲がなく山頂周辺では360度の展望を楽しめた。展望は鋸岳、八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、アサヨ峰、鳳凰三山、富士山、北岳、間ノ岳、塩見岳、赤石岳、中央アルプス、御嶽山、槍穂連峰である。登りの際、晴天にもかかわらず小仙丈岳で子連れのライチョウが出迎えてくれる。
 氷河地形は小仙丈カールの側堆石、藪沢カールの終堆石などを確認した。宿泊したテント場の北沢で礫を観てみた、ほとんどが頁岩と砂岩で若干花崗岩や緑色岩が混じっていた。また頁岩の中には付加体特有な細粒砂岩のメランジを含んだ岩石もみられた。
 膝の調子がやや悪く、写真撮影や野鳥観察などができなかったが充実した山行であった。

2015年8月10日月曜日

下仁田自然学校

 夏合宿の最終日、下仁田自然学校を訪ねる。下仁田ジオパークの中核の施設で小学校跡を利用したもので、始めに3部屋ほどの展示を係りの方の1時間ほどの解説付きで見学した。ビデオを見た後、下仁田の中生代までの地質、新生代の火山を中心とした展示、さらに日本の地史に関する展示を見る。展示内容も長瀞の博物館に劣らない内容である。
 次に、近くのフィールド案内で2か所ほどこれも1時間ほどの見学をした。初めに衝上断層の見学、ここでは御荷鉾緑色岩類と断層を観察する。つぎに青岩礫岩を観察した。この岩石は跡倉層に所属し断層の上に載り遠くから運ばれてきたと考えられている。解説によると、傾斜の大きかった断層がのちの構造運動で、水平に近くなった可能性があるとのことであった。