2015年12月30日水曜日

小網代の森

 三浦半島の小網代の森を訪れた。ここは、三浦半島の先端にある、相模湾に面した約70haの森で、森林、湿地、干潟及び海までが連続して残されている関東地方で唯一の自然環境と言われています。森の中央にある谷に沿って流れる「浦の川」の集水域として、森、川、海のつながりが必要なアカテガニをはじめとして、希少種を含む多くの生き物たちが、多様な生態系を形成しています。
 湿地であるが歩道が整備されて歩きやすい。きちっとした双眼鏡をもっていかなかったので野鳥はよくわからなかったが、キツツキのドラミング、ジョウビタキ、ウグイス、コジュケイ、ウの集団営巣は確認できた。植物も冬の目立たないものが多かったが、ガマの穂、アオキの赤い実、つる性のフジの種、ジュズダマ、ムラサキシキブ?などを見学し、貴重な自然の一端を垣間見ることができた。

2015年12月25日金曜日

ノーベル賞2題

 少し遅れてしまったが、今年のノーベル賞の日本人受賞者についてまとめる。
 大村智(医学・生理学賞)・・・寄生虫の特効薬で受賞。土壌中の菌から抗生物質を抽出、これが昆虫や節足動物の神経に作用することがわかり、さらにアフリカ、中南米の風土病「河川盲目症」の特効薬であることが分かり、病気の撲滅に寄与した。薬の生みの親であることが評価された。
 梶田隆章(物理学賞)・・・ニュートリノの研究で受賞。生成時に決定されたニュートリノのフレーバー(電子、ミューオン、タウ粒子のいずれか)が、後に別のフレーバーとして観測される現象をニュートリノ振動という。これはニュートリノが質量を持つことにより起きるとされ、素粒子物理学の標準模型では説明できない。このニュートリノ振動を実験で証明したことが評価された。小柴氏とおなじスーパーカミオカンデでの成果である。
正直な感想として2人とも科学者として傑出した人だとおもうが、ものすごいお金(税金)をかけ結果を出さないと困ってっしまうものに対し、無人の荒野を切り開いた大村氏の受賞のほうを評価したい。

人工衛星2題

 あかつき・・・日本の金星探査衛星、2010年5月H-ⅡAロケットで打ち上げられるが、主エンジン故障で金星の周回軌道投入に失敗し再度の機会を待っていた。
2015年12月に制御エンジンの噴射によって周回軌道投入に成功。直後送信された金星表面の近赤外線画像は金星を覆う雲の高低の様子がわかり、今後の観測に期待が集まっている。
軌道投入の失敗から6年後の再度の挑戦の成功に驚きを禁じ得ない。
 はやぶさ2・・・2014年12月にH-ⅡAロケットで打ち上げられた小惑星探査衛星。太陽系の起源・進化と生命の原材料物質を解明するためC型小惑星「Ryugu」で2019年末に到着し、探査をした後2020年末頃地球帰還の予定。
2015年12月に地球スイングバイを行いRyuguに向かった。その際氷に覆われた南極大陸がはっきりと映った地球の写真が公開された。

2015年11月29日日曜日

赤外線写真 その2

 近赤外線写真撮影を試行錯誤をしながら進めている。気が付いたことを記録する。
・撮影テクニックについて・・・マニュアルで撮影する。Pではだめである。ISOは400程度(シャッタースピード長い)でないと画像が荒れる。
・確認された写真上の効果・・・緑の植物が白く映る(葉緑体は近赤外線をほとんど吸収しない)。遠くの山の凹凸がくっきり見える(赤外線は散乱されない)。空が暗く映る(赤外線は散乱されない)。
・その他・・・黄葉の季節であまり近赤外線写真には向かない。黄色い葉を撮っていると可視光線を吸収しないのか、赤外線を吸収しないのか判別できない。
・近紫外線写真・・・花と葉のコントラストが大きくなる(昆虫に花を認識させるため?)。
・今までの成果を授業実践の近赤外線写真としてまとめる。

2015年11月22日日曜日

赤外線天文衛星「あかり」

 近赤外線写真を撮影していて、天文分野では赤外線観測がどのような成果を上げているかを調べていると、日本の赤外線天文衛星「あかり」に行きついた。
 あかりは、日本の宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部が開発した赤外線天文衛星である。掃天観測による、赤外線天空地図の作成を主目的として開発された。打上げは2006年2月、運用終了が2011年11月であった。
 成果は恒星の周りで惑星が作られつつある原材料、一生の終わりに近づいた巨星が吐き出す塵、数十億光年先の銀河、宇宙の背景放射のゆらぎなどがあり、2010年3月にはその観測データをもとに約130万天体に及ぶ「赤外線天体カタログ」も作成された。画期的な成果を上げたプロジェクトであった。

2015年11月17日火曜日

カメラの改造

 前から興味を持っていローパスフィルター(赤外線カットフィルター)の除去を行った。カメラは5年弱使っていて、CCDとローパスフィルターの間に小さなゴミが入ってしまい気になっていたNEX-5Nである。HPを複数印刷し、動画を保存して約3時間強かけ、+のドライバーを購入しで作業に臨んだ。結果は失敗であった。
 分解するところまでは試行錯誤をしながらなんとかなった。ローパスフィルターは四角いクリップで止めてありすぐ外せた。しかしローパスフィルターに金属がついてそこからフレキシブルケーブルが出ていて、金属とフレキシブルケーブルを戻そうとガラスのローパスフィルターを外そうとしたがフレキシブルケーブルが壊れてしまう。これをつけなくても何とかなるかと組み立てを始める。
 一番苦労し、失敗したのはフレキシブルケーブルの接続、単純にさすもの、ストッパーが手前にあるもの、奥にあるものがあり、接続しては外しを何回か行い、一部破損する。まだ望みがあるかと作業を続ける。しかし、HPで一番の難所とされていたモニターとフレキシブルケーブルの接続がうまくいかない。大丈夫かなと作業を進める完成させるが、電源が入りカメラは反応するがモニターが映らない状況になり、再度モニターとフレキシブルケーブルの接続を行うが同じ症状になる。これを3度繰り返したあとカメラのスイッチが入らなくなり万事休止。カメラ関係の修理に慣れていない私にはやや難易度が高かったようである。

2015年11月15日日曜日

原生代末からの大陸移動

ロディニア大陸の分裂からパンゲアの形成
 原生代末6億年前に南半球の低緯度にあった超大陸ロディニアが、大きなゴンドワナ大陸と小さなシベリア、ローレンシア(グリーンランド、北米、スカンジナビア半島)、バルチカ大陸(ユーラシア大陸北西部)に分裂する。シルル紀にローレンシアとバルチカが合体、イエペスタ海が消滅しアパラチア(カレドニア)山脈ができる。また同時期に北中国、南中国が分離する。石炭紀になると大陸が集まりだす。ユーロアメリカがゴンドワナと合体し、世界の海は超海洋パンサラサと古テチス海に分かれる。ペルム紀~三畳紀に北中国とシベリアさらにそこに南中国が合体し、最後にそれらとゴンドワナ大陸が合体し超大陸パンゲアが形成した。
パンゲアの分裂以降
 ジュラ紀に入るとパンゲアからヨーロッパ・アジアが分裂し、間にテチス海をつくる。さらに北アメリカが分かれ、長期間続いていたゴンドワナ大陸がアフリカ・南米と南極・オーストラリアに分裂する。白亜紀になると南米、アフリカが分かれ、インドが分離する。古第三紀にはオーストラリアが分裂した。新第三紀にはアフリカとインドがユーラシアに接近し、インドのアジアとの合体(アルプス~ヒマラヤ造山運動)、テチス海の消滅が起こった。また収束する太平洋では環太平洋造山運動がおこる。日本はこの時期大陸から分離し列島になる。

2015年10月26日月曜日

赤外線写真

 SONYのデジタル1眼カメラにR64フィルターでガス星雲を撮ろうと試みたが全く写ってくれなかった。そこでCanonのマニュアル撮影のできるコンデジで近赤外線写真が撮れないかと試した。ネガフィルムの濃い茶色い縁を利用し、2枚重ねて撮ったところ、白い植物が撮影でき何とか撮れることを確認した。今後さらにちゃんとした赤外線透過フィルターを利用し赤外線写真を撮ろうと考えている。
*赤外線写真の特徴
・散乱を受けにくいので、山岳風景写真などがくっきり撮影できる。・・・近赤外線は可視光線に比べて大気を構成する分子による散乱が少ないので、遠方まで霞まずに写る。可視光線の範囲内でも、波長の短い光ほど散乱されやすい。霞んだ遠景が青っぽくみえるのは、このことによる。
・散乱を受けにくいので、空が暗くなる。・・・青空の色は大気分子によって散乱した太陽光の色で、近赤外線は非常に散乱が少ない(次項も参照)。雲ではより長い波長の光も散乱されるので、簡易赤外線写真でも白く見え、青空とのコントラストが強調される。
・広葉樹や草地は明るく(白く)、針葉樹もそれに次いで明るく写る(雪景効果)・・・葉緑素(クロロフィル)は緑色光(550nm付近)をわずかしか、そして近赤外線(700nm~)をほとんど吸収せず
・水面は黒く写る・・・空が暗いためと、赤外線が水によく吸収されるため

2015年10月11日日曜日

沖縄修学旅行②

 修学旅行中を中心に、戦争についての本を2冊ほど読んだので記録をしておく。
「綾瀬はるか「戦争」を聞く」、TBSテレビ「NEWS23」取材班編、岩波ジュニア新書。
 女優の綾瀬はるか(普通のお嬢さんか?)が戦争体験者に話を聞いてまわる設定。広島、長崎、沖縄、ハワイ、東北(戦争と津波の被害)をあつかう。個々の掘り下げは甘いが、今日の若者が70年前の戦争を知る入門書としては優れた本である。
「対馬丸」、大城立裕著、講談社文庫。
 対馬丸記念館で事実を通しで確認したいと購入。対馬丸事件をあつかったノンフィクション。疎開を命じた文部省通達、それを受けての学校の苦悩と対応、乗船と出港、撃沈、漂流、生還者のその後と事実を淡々とまとめている。とくに、生還者の漂流時の証言は生々しく、いかに過酷な状況を生き延びたのかが伝わってくる。沖縄から逃がそうとしたのは正しい判断だったともいえなくもないが、なぜこんな犠牲が生じたのかを考えるとむなしいおもいがする。

2015年10月10日土曜日

沖縄修学旅行

 沖縄修学旅行に2泊3日で行ってきた。今回行った場所で印象的な場所について記録する。
萬華の塔とアンティラ壕・・・萬華の塔は南部の激戦地にたつ、地元の方が誰かれなく遺骨を収集し慰霊のために作った納骨堂と碑である。その後周囲には軍隊関係者が関係者のみを慰霊したり軍隊を賛美する慰霊碑が建てたが、日本軍の判断の誤りによって悲惨な状況に陥れられた沖縄の人々はどう思うのであろうか。
 すぐ背後にはアンティラ壕がある。全長約250Mの長さで、もともとは住民避難壕であったが、5月末軍隊により追い出され砲兵部隊の陣地となった。その後米軍に包囲され6/20に同部隊は全滅した。その後住民と敗残兵がガマに入り軍民雑居の状態になった。そんななか、兵隊や避難民も「赤ちゃんの泣き声で壕が米軍に発見されたら、壕全体の人が犠牲ななるから、家族みんなで壕を出るか、赤ちゃんを殺すかどっちかにしてくれ」と云われたり、母親が子供を殺す事を躊躇している間に、日本兵が子供絞め殺す幼児虐殺もあった。7月末にはアンディラガマは米軍による火焔放射のために、入口付近でたくさんの犠牲者が出ていて、壕入り口天井の石灰岩には今もその痕跡が残る。
対馬丸記念館・・・県庁前から北西へ歩いて20分の所にあり、対馬丸事件に関する資料収集と公開をしている施設ですぐそばには慰霊碑「小桜の塔」がたつ。サイパンが陥落し次のアメリカ軍の標的が沖縄になる可能が高まる中、戦闘の足手まといになる子供を中心に強制的に九州や台湾に疎開させる命令が下された。最初の疎開船が対馬丸ほか2隻で、2隻の護衛艦を伴い、1944年8月21日に長崎に向け出港。翌日の夜潜水艦の魚雷攻撃を受け対馬丸のみ沈没、1788名の乗船者のうち1484名の犠牲者を出す惨事を招いた。問題とされるのは対馬丸が直前の航海で軍人を輸送していたこと(潜水艦は直前の軍事物質を輸送を把握)、および他の4隻は自分達の安全を考え遭難救助を行わないでその場を立ち去ったこと。生存者は数日から10日間、海を漂流し漁船に助けられたり島に流れ着いたりしている。またその後、軍から遭難のことは一切しゃべるなとのかん口令が出されている。

2015年10月5日月曜日

県科学振興展西部地区展

 10月3日(土)から5日(月)にかけ県科学振興展西部地区展が川越の東洋大学で行われた。本校は「関東山地のフズリナ化石の進化」で出品した。内容はここ数年間4か所のフィールドで採集したフズリナ化石を薄片にして鑑定したもので、専門家ではないので属レベルでの鑑定になったが、石炭紀後期からペルム紀中期の生存期間と、2系統の進化系列を確認したものであった。結果は参加賞でもある優良賞であった。出品全体の傾向は、分野別では物理9、化学11、生物16、地学9であった。うち9作品が中央展に選出された。
 閉会セレモニーの後、東洋大の自慢のバイオナノ研究室の見学が行われた。現在の最先端の研究が行われているとのことだが、過半が外国からの研究者ということで研究条件の素晴らしさや、論文のみで評価されるその厳しさの一端を垣間見た。


2015年9月22日火曜日

秋の七草

 連休に森林公園を歩いてた。ちょうど秋の七草の頃である。秋の七草は、おみなえし、おばな(ススキ)、ききょう、なでしこ、ふじばかま、くず、はぎ、である。このうち、おみなえし、おばな、くず、はぎを見た。
 秋の七草は万葉集の山上憶良が詠んだ歌に由来する。「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七草の花。萩の花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花また藤袴、朝貌(がお)の花」、朝貌はききょうのことで、今日の「あさがお」は平安時代に輸入された。
 なお、春の七草と違ってかゆに入れて食べる習慣はない。

2015年9月13日日曜日

アンモナイト

 夏に瀬林でアンモナイトを採集した。専門家に鑑定を依頼したところ名前がついた。参考文献があったのでそれらを読んでなにがしかのまとめをしようと考えている。そこで、アンモナイトについて簡単にまとめておく。
 アンモナイトの仲間は古生代中盤から中生代末にかけて繁栄した。平らな巻貝状の形態を持つ頭足類の一群。重要なグループは古いほうからゴニアタイト、セラタイト、アンモナイトに分けられる。3者の違いはからの成長の際にできる縫合線の形で区別され、山と谷のみの単純なゴニアタイトから山と谷の側面や頂部複雑な切れ込みのあるアンモナイトへと進化している。非常によく調べられている化石群で種の進化に関する様々な法則の具体例を提供してくれる(進化局限の法則など)。アンモナイトの仲間は白亜紀末に絶滅しているが、似ている仲間にオオムガイが存在しているが、殻をつなぐ体管の位置、縫合線の形、初期室の有無など根本的なところで違っている。

2015年9月9日水曜日

北高祭

 秋雨の続く中であったが、合間の晴天にも恵まれ、盛況な文化祭だった。全体の来場者数は5000人強、地球科学部の入場者数は500強作った石英のお土産が2日目の午後なくなり、約600人であった。
 生徒の発表は地球分野が岩殿丘陵巡検、花桐・伊豆ヶ岳巡検、石英について(複屈折と圧電効果の実験)、夏合宿報告2本(瀬林、恐竜センター、不二洞、下仁田ジオパーク)、砂金採り(個人)。天文分野が秋の天体観測、春の天体観測、5月の天体観測、夏合宿の星空、月面観察、天の川について、国際宇宙ステーションと無重量(無重量実験)。顧問はフズリナの進化、月の名所案内であった。
 3年が恐竜の頭と大きな地球儀をつくったのもあって、展示部門の1位を獲得した。

2015年8月31日月曜日

「永続敗戦論」

 「永続敗戦論」、戦後日本の核心、白井聡著、太田出版を読む。戦後の日本がどう歩んできたかをまとめたもの。
 アメリカがとった対日政策がいかにアメリカのために行われたか。天皇を中心とし国民が国家のために殉じる国体を守ろうとした天皇を含む支配階層。負けたことを肯定しない支配勢力が、敗戦といわず終戦いうことの意味。戦後の保守政治はアメリカにいかに尻尾をふったきたか。安倍首相をはじめなぜ保守はアジアを敵視しアメリカに尻尾をふるか。アメリカに干渉されたり、自身に不都合なことはいわない領土問題。
 韓国や台湾に共産主義との対決を押し付け、民主主義もどきを謳歌していた日本。非核3原則をうったえかつ米軍の核の傘に入る日本。九条で戦争参加を拒否しながら朝鮮戦争・ベトナム戦争で高度経済成長をした日本。米ソ対立のまではアメリカが日本を守る意味はあったが、ソビエト崩壊以降は搾取の対象である日本、TPPはこの流れの中にある。アメリカは日本を独立国と思っていない、かつ実際に独立国でない日本。
 いままであまり大っぴらに語られてはいない、戦後の政治のまた国民の実際の姿を描写した評論である。自身の断片的な理解がつながった感じがする。戦後を終わらせなければ明日の日本はないという思いがした。

2015年8月29日土曜日

隠岐の歴史

 縄文時代から人が住む。古くから遠流の島として知られる。もっとも有名なのは後鳥羽上皇、後醍醐天皇である。
 後鳥羽上皇は鎌倉時代の初めに承久の乱で敗れ隠岐の中ノ島に流されここで一生を終える。隠岐には牛突きという闘牛の伝統があるかこれは上皇をなぐさめるため始まったとされる。
 後醍醐天皇は鎌倉時代の末に元弘の乱で敗れ隠岐の島後に流されたが、1年後脱出し権力の座に返り咲いている。
 江戸時代には島後の西郷港が良港であったため、北前船の寄港地となり各地の歌が残っているそうである。
 明治初め、隠岐騒動が起こる。これは松江藩の過酷な支配に反対して、住民がこれを追い出し島民自治を行ったものである。しかし、この騒動も明治政府が乗り出し1年弱で騒動は鎮圧された。隠岐にはほとんどお寺がない、かつては平安時代からの国分寺があったのだが、現在あるのは新しいものである。これは隠岐騒動の直後にあった明治政府の廃仏毀釈の際に島民の恨みが仏教施設に向けられ徹底的な破壊をうけたとのことである。

2015年8月27日木曜日

隠岐の地形・地質

 一般ツアーで世界ジオパークに認定されている隠岐を訪ねる。隠岐の地形・地質についてまとめる。
 島根半島の北40~80kmに点在する日本海にある4つの有人の島を中心とする島々からなる。4つの島は島前(中ノ島、知夫里島、西ノ島)と島後で構成される。日本の大陸地殻の連続し氷期には陸続きになる。
 隠岐で一番古い岩石は2.5億年前の隠岐片麻岩で日本が大陸の東の縁にあったときの岩石である。次の時代の岩石としては中新世の日本海拡大の際の堆積物や化石が知られている。現在の位置に来てから鮮新世に火山活動が起こる。これによって隠岐の大地の大部分が作られることになる。またこの火山活動の際、アルカリ岩が噴出している。島前の3島はかつての巨大なカルデラと中央火口丘が水没し浸食を受けたものであるが現在でもその様子が展望台からは偲ばれる。
 ps.アルカリ岩とは通常よりK、Naが多い火成岩。ホットスポットなどにみられマントルの部分溶融した際にできるとされる。日本は非アルカリ岩が一般的で隠岐の火成岩は最もアルカリ成分の高い岩石がみられる。

2015年8月25日火曜日

「科学者は戦争で何をしたか」

 「科学者は戦争で何をしたか」(益川敏英,集英社新書)を読む。ノーベル賞科学者が科学と戦争の関係そして軍事強化に傾く現在日本についてまとめた本。
 はじめに、近代に科学がいかに戦争に使われてきたかを述べる。具体的にはダイナマイト、殺虫剤(毒ガス)、無線技術など。次に、第二次世界大戦中、科学者はなにをしたかが語られた。原子爆弾をつくったマンハッタン計画。これに対して核廃絶を訴えた科学者の存在(「ラッセル・アインシュタイン宣言」など)、しかし科学者はその使用や増強に全く関与できなかったこと。
 現代は研究領域がより細分化され全体像がつかみにくくなっている。また軍学協同が進み、巨大な資金が役に立ちそうな分野に投下されるようになっている。さらに民生用の技術が軍事用に利用される(ディアルユース)問題が顕著になっている。
 日本の軍事強化への不安が述べられ、自身も参加する「九条科学者の会」の設立に至った経緯がまとめられる。
 何か所かで自身が科学者が二足のワラジをはいていたといっている、これは研究活動と平和活動であるが、恩師坂田先生の教えだそうである。また最後に科学者である前に人間たれとまとめている。 

2015年8月19日水曜日

膝痛

 1月以上、左膝の痛みに悩まされる。症状は主に階段を降りるとき、また膝を完全に曲げた時に左膝の内側に軽い痛みを感じる。
 登山を控えていたので心配で、まず外科に行った。レントゲンを撮った後の医者の見立ては骨の間隔や軟骨に問題はない、腱かもしれないとのこと、ここではそれでストップ。
 次に、運動をやっている複数の人にきいたことをまとめると、どうも老化による筋力の衰えが膝に来ているようである。また、骨折の際1月強足を動かさなかったのもきいているのかもしれない。そういわれると、昨年の夏の登山の際も下りではやや膝の調子に違和感(バランスをとるのが大変)を覚えていたことや、骨折の際も通常のバランスの崩れを膝が対応できず足首の部分にいつも以上の負荷がかかったとも思われる。
 療法として2つある。1つは対症療法で登山用品店で聞いたところ、膝の負荷を緩和するサポーターと登山の際には下りを中心にストックをつかうこと。この対応で夏の登山は乗り切った。
 もう一つは根本的な治療で膝のトレーニング。膝の周囲の筋肉を少ない負荷の運動で毎日トレーニングすることで、膝を強くすること。
 膝痛で悩んでいる人が多いせいか調べてみると複数のサイトで対応法が書かれている。

2015年8月18日火曜日

「憲法の創造力」

 「憲法の創造力」(木村草太著、NHK出版新書)を読む。
 マスコミで取り上げられる憲法にかかわる政治問題の法律的な争点、問題点がどこにあるかを解説した教養書。
 具体的には次のような問題が取り上げられている。君が代不起立問題、日本的多神教と政教分離、公務員の政治的行為の何が悪いのか?、憲法9条の創造力、等々。
 全体を通しては今当たり前に語られる(主にマスコミによって喧伝されている)常識がいかに政治的にゆがめられているかを感じる。
 憲法を良くするのは、改憲することでない。憲法に書かれている財産を創造力を駆使して問題解決のためにどのようなルールを創造するかであるとしている。
 相当読みやすく書いているのだろうが、正確を期すため判例が数多く引用されているのでさらっと読み飛ばす類の本ではない。

2015年8月17日月曜日

仙丈岳

 登山部の夏山山行で仙丈岳に登った。高校時代、狭山登山部を含めての3回目である。
 前日に北沢峠のテント場で宿泊し翌日午前中の登頂で、当日は晴れで特に10時ころまではほとんど雲がなく山頂周辺では360度の展望を楽しめた。展望は鋸岳、八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、アサヨ峰、鳳凰三山、富士山、北岳、間ノ岳、塩見岳、赤石岳、中央アルプス、御嶽山、槍穂連峰である。登りの際、晴天にもかかわらず小仙丈岳で子連れのライチョウが出迎えてくれる。
 氷河地形は小仙丈カールの側堆石、藪沢カールの終堆石などを確認した。宿泊したテント場の北沢で礫を観てみた、ほとんどが頁岩と砂岩で若干花崗岩や緑色岩が混じっていた。また頁岩の中には付加体特有な細粒砂岩のメランジを含んだ岩石もみられた。
 膝の調子がやや悪く、写真撮影や野鳥観察などができなかったが充実した山行であった。

2015年8月10日月曜日

下仁田自然学校

 夏合宿の最終日、下仁田自然学校を訪ねる。下仁田ジオパークの中核の施設で小学校跡を利用したもので、始めに3部屋ほどの展示を係りの方の1時間ほどの解説付きで見学した。ビデオを見た後、下仁田の中生代までの地質、新生代の火山を中心とした展示、さらに日本の地史に関する展示を見る。展示内容も長瀞の博物館に劣らない内容である。
 次に、近くのフィールド案内で2か所ほどこれも1時間ほどの見学をした。初めに衝上断層の見学、ここでは御荷鉾緑色岩類と断層を観察する。つぎに青岩礫岩を観察した。この岩石は跡倉層に所属し断層の上に載り遠くから運ばれてきたと考えられている。解説によると、傾斜の大きかった断層がのちの構造運動で、水平に近くなった可能性があるとのことであった。

2015年7月21日火曜日

冥王星

 はじめての冥王星探査機の「ニュー・ホライズンズ」がフライバイ(接近・通過)に成功し、撮影した高解像度写真が公開された。
 それによると、冥王星本体は衝突クレーターは確認でず、地形が1億年以内に形成され、現在も活動期にある可能性が指摘されている。3300mの氷の山脈もあり、上を凍った窒素とメタンが覆っていると推定されている。
 また最大の衛星カロンについては、暗い極地域が大規模に存在し、地表9.65kmに及ぶ一連の「谷」と「断崖」の存在が確認された。

2015年7月19日日曜日

ドクトル・ジバゴ

 オマーシャリフが亡くなったとの知らせを受け、彼が主役を演じたドクトル・ジバゴをDVDで見直す。
 原作はノーベル文学賞候補になったがソビエトの圧力で辞退したボリス・パステルナーク、監督はデビット・リーンである。
広いロシアの大地を舞台に繰り広げられる、ロシア革命とそれにともなう社会の混乱に翻弄される、ジバゴとラーラの物語にあらためて見入ってしまった。
 革命の混乱を嫌いヨーロッパそしてアメリカに亡命せざる得なかった著名人は非常に多く、最近よく聞くラフマニノフもその一人である。


2015年7月5日日曜日

温泉

 日本の温泉の定義は、私たちが一般にイメージするものとずれがある。1948(昭和23)年の温泉法によると、「地中からゆう出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く。)」とされ、以下の項目のいずれかに該当すると温泉となる。
1.泉源が25度以上。
2.特定の成分がある一定以上含まれるもの(例:ガスを除く溶存物質、硫黄成分など)
とういことは、25度以上であればどんな水でも、特定成分が入って入れは何度でも温泉ということになる。
 25度以上の湧出温度の温泉の種類には火山性温泉と非火山性温泉がある。
火山性温泉は火山もマグマを熱源とするもので、非火山性のものは堆積盆地の地下深くからくみ上げられたものやかつて堆積した亜炭の変化を熱源とするものなどがある。
 以前は25度未満のものを鉱泉と称していたが、最近はこれも温泉と称することが多いようである。温度が低い場合(また温度が高くても湧出量が少ない場合水を加えて)、これを加熱して入浴に利用するのだが、問題は加温にお金がかかることで、通常循環し塩素などで殺菌するのだがこれといわゆる掛け流しの1度しか使わないものとの違いは大きいと言わざる得ない。もちろん風呂へのお湯のそそぎ口からコップで飲めるのはかけ流しの場合に限られるのはわかると思う。
 これらの国際的な基準(アメリカ21.1度、ドイツ20度以上)を外したことには、温泉という言葉を使ってレジャーを喚起したい意図が感じられる。

2015年6月29日月曜日

のだめカンタービレと西洋クラッシック

 のだめカンタービレを観て西洋クラッシック音楽についてほんのちょっと調べてみた。作品に出てきた作曲家がどんな時期に活躍したのかをまとめてみると、西洋音楽史が勉強できるような、様々の時代の音楽が登場している。
*バロック音楽1600-1750
ビバルディ・・・春、BGMで使われる
バッハ・・・イタリア協奏曲 ヘ長調BWV971、のだめがサロンコンサートで演奏
*古典派1750-1820
モーツアルト・・・2台のピアノのためのソナタ、千秋とのだめの初演奏
ベートーベン・・・ピアノソナタ「悲愴」第2楽章、のだめとの出会い。ヴァイオリンソナタ「春」、峰との共演
*ロマン派1820-1900
シューベルト・・・ピアノソナタ第16番 イ短調、のだめがコンクールで演奏
メンデルスゾーン・・・「無言歌集」より「甘い思い出」、のだめがコンクールで演奏
ショパン・・・ピアノ協奏曲第1番、のだめがシュトレーゼマンと共演
シューマン・・・ピアノソナタ第2番 ト短調、のだめがコンクールで演奏
リスト・・・超絶技巧練習曲、ルイに影響されのだめが演奏
ブラームス・・・交響曲第1番、R☆Sオーケストラで演奏
チャイコフスキー・・・ヴァイオリン協奏曲、千秋がコンクールで指揮
ドボルザーク・・・交響曲第5番、ニナ・ルッツ音楽祭で千秋がシュトレーゼマンの代わりに指揮
エルガー・・・ヴァイオリンソナタop.82、三善家に泊まった時2人で演奏
*現代1900-
ドビュッシー・・・『喜びの島』、のだめがコンクールで演奏
ラフマニノフ・・・ピアノ協奏曲第2番、千秋がシュトレーゼマンと共演
ラヴェル・・・『鏡 道化師の朝の歌 』、のだめがアパートでの初演奏
バルトーク・・・・アレグロ・バルバロ、ニナ・ルッツ音楽祭でののだめの課題曲
ストラヴィンスキー・・・「ペトルーシュカ」からの3楽章、のだめがコンクールで演奏したが失敗に終わる。

のだめカンタービレ

 のだめカンタービレをアニメで見る。
 ピアノの才能があるのに自分で楽しむためだけのうちに向かっていた主人公のだめが、音楽の才能を持ち努力を惜しまない秀才の千秋への好意から芸術の世界に真正面に向かい合い成長していく物語。
 恋愛やギャグの要素はあるが、2人の人間関係とそれぞれの成長に力点があり、内向する自分の別人格を設定したり、その自分との別れがあったりと文学作品に通じる構成をもつ作品である。

2015年6月1日月曜日

城ケ島を訪ねる

 来年度の理数科の企画の関係で、東農大の地質巡検に同行させてもらった。教職課程の実習巡検であったが、案内者がここをフィールドとした研究者ということもあって充実した企画であった。
 巡検中の学生への説明は以下のものであった。(地質について)地層、凝灰岩、凝灰角礫岩。走行傾斜、向斜構造、断層(正断層、逆断層)。生痕化石、火山豆石。火炎構造、ロードキャスト、コンボリュート葉理、スランプ構造、斜交葉理。(地形について)海食台、海食洞。また上記以外に今回確認したこととしては、ヤッコカンザシによる関東地震などのさいの陸地の上昇、三崎層と初声層の岩相の違いなどである。
 また、60人弱の学生を相手にした地質見学のノウハウについても教示をもらい成果が多かった。具体的には移動しながらの説明型巡検では25人程度が限界。はじめにフィールドなんだよという危機意識を持たせないと、あとでトラブルがある。オリエンテーリング型の巡検も一考の余地あり。持ち物としてクリノメーターと地図は必要、またハンマーは観光地のため使わない等々である。
 夏休みに再度下見をして内容を具体化していきたい。

2015年5月24日日曜日

ガラスをつくる

 地球科学部の活動でガラスをつくっている。
 はじめに最も一般的な鉛ガラスをつくった。酸化ケイ素、ホウ酸、酸化鉛をるつぼに入れ、マッフルで覆い、ガスバーナーで加熱する。10分ほどで融解する。これを温めた鉄の板の上に落とし冷ます。冷却の速さの問題かひびが入り割れてしまった。
 次に、安全なソーダガラスをつくった。酸化ケイ素、炭酸カルシウム、ホウ酸、炭酸ナトリウムをるつぼに入れ、同様に加熱すると20分ほどで融解する。ホットプレートでさらに温めた鉄の板の上に落としたところ、ひびは入ったが割れずに固結した。
 細かいノウハウの必要な実験である。今後小中学生向けの科学行事につなげていきたい。

2015年5月8日金曜日

秤動

 月は常に同じ面を地球に向けている。しかし秤動という運動のため59%が観察される。秤動とは衛星に見られる振動運動のことで、光学秤動と物理秤動とがある。
 光学秤動とは見かけの振動で緯度秤動、経度秤動、日周秤動がある。緯度秤動は月の自転軸が公転面の法線に対して6.5度傾くため地球の春夏秋冬があるように1カ月を周期として上下に見える部分が変化する。経度秤動は月の軌道が楕円のため地球から見た動きに遅速があるため、1カ月を周期として近地点では右側(東側)、遠地点では左側(西側)がみえる。日周秤動は地球の自転のため観測者が動くため月の出では右側(東側)が、月の入りでは左側(西側)が見える。その程度は1度である。
 物理秤動は月が地球方向に長いラグビーボール形なためにおこるがこれは見かけ上は非常に小さい。

2015年4月30日木曜日

月の東西南北

 Lunar100をまとめていて月の東西南北について疑問に思い整理してみた。
 望遠鏡の発達していなかったまたガリレオ式の接眼レンズに凹レンズを用いていた時代のスケッチは正立像(上が北、左が東)であった。
 望遠鏡が発達すると、接眼レンズに凸レンズを使って観察する様になり、これをそのままスケッチまたは写真撮影するため倒立像で表現(上が南、左が西)するようになった。
 次にロケットが発達し月に人送ろうとしたとき、これまでの考え方では月では西から太陽が昇ること気が付き、このため国際天文学連合総会では、月で太陽が昇る方向を東と決まることにした。このため地球からみた正立像の月は上が北、左が西となる。
 書籍でも混乱しているようですが、私自身はM天体などの写真同様に北を上にするのが合理的な気がします。
 ps.いままでの議論は北半球の観測者を前提にした議論です。

2015年4月29日水曜日

ネパール地震 (2015年)

 4月25日にネパールで強い直下型の地震が起こり、29日現在5000強の死者が出たとされている。登山シーズンのエベレストでも雪崩が多数発生し、日本人1人を含む数十人犠牲者が発生している。
基礎データ
時刻:2015年4月25日11時56分(現地時間)
震源:ネパールの首都カトマンズ北西77km付近の深さ15km
M:計算した機関による差があり、7.8から8.2
地震のタイプ:衝上断層で周囲の力のかかり方からすると北盤が南盤の上にずれたと考えられ、断層の変位は4m強と推定されている。

2015年4月12日日曜日

Lunar 100

 観測用のアンドロイドアプリとして"Moon Atras 3D"を入れたのだが、そのかなにLuna100という表示項目があり、知らなかったので調べてみた。Lunar100はCharles A. Wood氏が選定した「月の地形100選」で、特徴のある月面の地形をリスト形式でまとめていて、やさしい対象から順に番号が付けられています。
 部活で月を見る機会があるが、地球照、代表的な海、クレーターを確認するだけでその次になかなか進まなかったが。
 これを参考にすると様々な地形を確認することができそうである。

「中東から世界が見える」

 「中東から世界が見える イラク戦争から「アラブの春」へ」酒井啓子著(岩波ジュニア新書)を読む。
 いままで漠然と理解していた中東の状況を理解させてくれた。オスマン帝国崩壊後の中東。ナセル、カダフィ、フセインの権力掌握の必然性とその変質。湾岸戦争、イラク戦争がアラブの人にどのように受け止められたか。「アラブの春」の位置づけ。イスラーム主義の台頭。日本とアラブの関係。
 ここにも西欧に虐げられ、自らのアイデンティティーを求めている人たちのうねりがあるのだと感じる。

2015年4月3日金曜日

天然石のストラップ

 あまり動けまわれないので、岩石の普及活動に使えないかと石のストラップやペンダントを作っている。
 平たい石は磨いて穴を開けヘンプ紐を2回通し1回結んだあと平編みを繰り返すとストラップになる。
 コロコロした石はヘンプでネットをつくり、石を包み1回結んだあと平編みを繰り返し、それを折り返し、最後に別のヘンプ紐で外掛け結びをするとペンダントができる。詳しくは後日地学の普及実習にまとめます。

2015年3月22日日曜日

4大宝石

 寄居のヒスイ輝石石英岩を薄片にしてしらべていて、ヒスイとはどんな宝石なのか思い調べてみた。中国や台湾を旅行するとヒスイがヨーロッパと違い非常に珍重されていることに気がつく、これはなぜか。
 西洋の4大宝石はダイアモンド、ルビー、サファイア、エメラルドとされる。いずれも1~数種の元素からなる。ダイヤモンドは炭素、ルビーとサファイアは酸化アルミニウム、エメラルドはBeとAlを含むケイ酸塩鉱物である。日本のジュエリーショップではこのてのものを主に扱っている場合が多いのではないか。
 東洋の4大宝石は、サンゴ、ラピスラズリ、ヒスイ、真珠(または水晶)とされる。サンゴと真珠は生物によって作り出されたもので主成分はサンゴは炭酸カルシウム、真珠はアラレ石と有機物。ラピスラズリは準長石の一種(青金石)でNa,Ca,Al,S,Clを含むケイ酸塩鉱物を主成分とする。ヒスイは軟玉と硬玉とに分けられ、軟玉は角閃石(透閃石‐緑閃石)が主成分、硬玉はヒスイ輝石が主成分であるが見た目では分けられないので合わせてヒスイと呼んでいる。水晶は酸化ケイ素。
 以上のように伝統的に好まれる宝石は全く異なっている。ただ色から考えると、赤のルビーとサンゴ、青のサファイアとラピスラズリ、緑のエメラルドとヒスイ、透明また白のダイヤモンドと真珠(水晶)と対比で来て面白い。問いの答えは伝統的に東洋で好まれた宝石で軟玉と硬玉の2種類がありそれぞれ異なったケイ酸塩鉱物からなる緑色を主とする宝石ということになる。

2015年3月16日月曜日

下駄骨折

 飛び石を歩いていて、不安定なところで止まりリックから地図を出そうとした際バランスを崩し骨折をしてしまった。
 バランスを崩した際激痛が走り、ベンチで休むが、らちがあかず、喫茶店に入り右足外側部分を氷水で冷やす、痛みの程度から骨折ではない捻挫だろうと判断する。その後落ち着いたのでスーパーでシップとスリッパを購入してもらい、宿で休む。このころが腫れのピーク。足を着かないと何ともないが、つくと激しく痛み、けんけんで部屋を移動する。
 一晩寝た後、状況は変わらず車いすで出口まで移動し、自宅の町まで帰宅。外科で診察を受けるとレントゲンの結果は第5中足骨基部骨折、いわゆる下駄骨折。現在は腫れているので、仮固定し後日ちゃんとした固定をする。松葉杖を受け取る。しばらく不便な生活が続きそうである

ps1 手袋
なれない松葉杖のため1日目から手の甲が赤くなる。万が一まめでもできたら、学校に行けなくなると考え、自転車用の手袋をつかう。掌の痛みが問題なくなる。
2015-03-19

ps2 ギプスをつける
3月23日に腫れが引いたところでギプスをつける。
筒状のネットと綿を覆った後、お湯につけた専用の包帯状のものを2人で手際よく巻き付けていく。
足を直角にしているようにと指示あり。
巻き終わりすぐでギプス完成。約1か月後に取れるとのことである。
また専用のスリッパ(片方だけ)を購入、保険がきかないとのことで3250円!
2015-03-28

ps3 ギプスをとる
4月18日ギプスを外す。電動の専用カッターで両側から足の横を縦に切り、こじ開ける道具で開き、最後にカッターで分けて外す。
結構きつい臭いがする。レントゲンを撮った後、お湯で2回洗ってもらう。写真では切断線が2か所残る。らせん状に破断したためで破断面は1つだそう。痛みもなくついいていそうなので治療終了になる。気分の問題のようだが圧迫のため包帯をまく。まだ少しの期間ぎこちない歩きが続きそうである。
2015-04-19

2015年3月10日火曜日

寄居のヒスイを訪ねる

 地質見学の下見に小川から寄居までを歩いてきた。
 竹沢駅を降り、金勝山を南登山道から目指す、山道に入ると所々に花崗岩が露出するが大きな露頭は1ヶ所であった。山頂からは小川盆地の眺望がある。小川げんきプラザは、部活の合宿に使えるかとちょっと考えたが天体観測を目的には空の条件や他の団体との関係等やや難がある感じがする。
 江戸時代の農家が公開されているので見学に行く、いろりでカキの葉茶をごちそうになる、岩石を見て歩いていると話すと板碑の加工場の話が出てきて、地元の人には有名な話のようだ。
 次にヒスイ輝石岩を探す。参考にした資料の地図がやや違っているようで山の斜面を30分強はいずりまわり見つからず。ふと道の簡単な案内を頼りに歩くと目的の稚児岩にたどり着く。
 その後車道沿いに歩き鉢形城跡に、ここはかつて見たので今回はパス。
 荒川の橋から露頭が見えたので河原に降りる。塊状の流紋岩質の溶結凝灰岩を観察する。
 寄居駅前で遅めの昼食をとる。三食そば(普通のそば、更科そば、ゆずそば)のざると天ぷら、昔からの山の食べ物とうい感じがした。

2015年2月28日土曜日

鉱物の結晶系

 地学室のサンプルを整理していて結晶系の知識に若干不安を感じたので以下にまとめる。鉱物は以下の6つ(また7つ)の結晶系に区分される。
 等軸晶系・・・3本の結晶軸が同じ長さで、3本とも90度で交わる。コロッとしているところが特徴。ダイヤモンド、黄鉄鉱、ガーネット、フローライト、磁鉄鉱。
 正方晶系・・・3本の結晶軸のうち2本が同じ長さで、3本とも90度で交わる。長細い結晶になる。ジルコン、ベスブ石。
 斜方晶系・・・3本の結晶軸のずべてが違う長さで、3本とも90度で交わる。テーブルのように平たい形か、柱のような形が多い。カンラン石、斜方輝石。
 単斜晶系・・・3本の結晶軸のずべてが違う長さで、2本が90度で、残り1本が斜めに交わる。縦に二分し、表と裏が同じ形になっています。鉱物の中では、一番多く見かける晶系。正長石、普通輝石、普通角閃石、黒雲母。 
 三斜晶系・・・3本の結晶軸のずべてが違う長さで、3本とも斜めに交わる。この晶系の鉱物は数が少ない、さらにいうなら大きな結晶に育つものも少ない。斜長石。
 六方晶系・・・4本の結晶軸からなり3本の長さが同じ、3本が120度で交わり、その3本に対し残りの1本が90度で交わる。 エメラルド、(氷の結晶)。
 三方晶系・・・六方晶系を半分にしたもの、六方晶系に含む場合も多い。水晶、カールサイト、チタン鉄鉱。
 非晶質・・・結晶していない。オパール、ガラス。

ps 結晶系のミニ標本
等軸晶系・・・黄鉄鉱、ざくろ石
正方晶系・・・ベブス石
斜方晶系・・・かんらん石
単斜晶系・・・普通輝石、角閃石
三斜晶系・・・斜長石
六方晶系・・・石英、方解石
ガラス
2015-03-01

2015年2月21日土曜日

空気の重さ


 三ツ矢サイダーのペットボトルを利用し、空気の重さを測る実験を行う。仏式バルブをつけ、1気圧、2気圧・・・と加圧しその重さを測り、1気圧あたりの重さの増加分をだし、計算により1モル当たりの質量を出すものである。簡単な実験で普段感じない空気の重さが、それなりの値で出せる実験で演示実験に使えそうである。すぐに実験の項目に詳細をアップする。

2015年2月5日木曜日

フズリナ化石

 部活等で取りためてきたフズリナの整理に、薄片をつくり鑑定をしている。
 きちっとしたフズリナ鑑定のチャレンジは初めてだが、論文等を頼りに素人ながら属まではなんとかなりそうである。
 扱った資料は関東山地を中心に6か所のフズリナ石灰岩で、古いほうからフズリネラ、トリテシーテス、シュードフズリナ、パラフズリナ、ネオシュワゲリナ、ヤベイナを識別ができ、石炭紀中期からペルム紀中期までのフズリナの大雑把な進化をたどることもできそうだ。

2015年1月20日火曜日

ラブジョイ彗星(C/2014 Q2)

 2014年8月にオーストラリアのラブジョイさんが発見した新しい彗星です。当初予想されたより明るくなり、1月上旬から肉眼でも見える4等級代になり観測可能となったため地球科学部でも1月19日に急きょ観測しました。
 軌道面は黄道面に対してほぼ垂直に交わり、天球の南半球から北半球に向かい1月30日に近日点を1.3天文単位の距離で通過します。また地球に最接近するのは1月7日で、その距離は0.47天文単位です。このため1月上旬が地球から見てもっと明るくなります。その軌道から夕方や明け方でなく夜中にも観測できます。またこの彗星はオールトの雲を起源とし公転周期は8000年です。
 1月上旬から中旬の時期は牡牛座の下を毎日場所を西に移動しながらもわっと見えるコマが移動していて、全体の観測会の当日はすばるを頼りに双眼鏡で確認しました。ただその前の週に比べ確実に暗くなっていました。

2015年1月18日日曜日

「アメリカの鏡・日本」

 「アメリカの鏡・日本」ヘレン・ミアーズ著、伊藤延司訳、角川書店を読む。
 筆者はGHQの一員として日本占領政策の策定にかかわった女性の日本研究者である。内容は明治までの日本、明治維新から敗戦までの日本を研究者として客観的に分析した著作で、次のようなことがまとめれれている。明治の前の日本はどんな国であったか。明治維新はいかに起こったか、それに西欧列強はいかに関係するか。明治以降の日本はいかに西欧列強を手本にして変革していったか、そのときの東アジア情勢と西欧列強の対応。太平洋戦争はどのように進行していったか。日本の敗戦処理は、アメリカなどによっていかに行われようとしているかなどである。表題は、アメリカが今戦後処理の改革をしようとしているのは、明治維新以降西欧やアメリカを手本として同じ手法で同じことを行った日本であるという意味である。
 今まで日本から見た日中戦争、太平洋戦争とうい知識は持っていたが、アメリカ人の書いたものを読むのは初めてである。アメリカが日本に対してどんな意識を抱いていたか、またその権益をいかに守るため行動していたかがまとめられていて新しい視点でそれらをみれたのが貴重であった。

2015年1月12日月曜日

水星

 水星が東方最大離角に近いため、部活動で観望と写真撮影をした。宵の明星のそばに見つけやすかった。また水星観望は黄道が立っている春分か秋分の時期かと思っていたが、1月のこの時期はくれるのが早く、空も澄んでいるので案外観望には良い時期なのかもしれない。これを機会に水星についてまとめる。
 太陽に一番近い(5800万km、0.39AU)惑星で、公転周期が88日(会合周期116日、最大離角は28度)、自転周期は59日(2公転する間に3回自転する共鳴関係)。半径が2400km(月の1.4倍)で地球の比べ大きな金属核を持つ(地球は体積の17%が核、水星は42%)、弱いながら地球と同じような磁気圏が存在することから液体核の存在が推定されている。表面は月と同様なクレーターが多数あり、またその収縮の際にできた断崖が多数みられる。大気はほとんど存在せず、そのため表面温度が昼間の部分が450度、夜の部分が-180度になる。また極にあたる部分には氷が存在している。

2015年1月2日金曜日

戦前の日本との関わり

 台湾を訪れるとどうしても戦前の日本との関わり合いを意識せざる得ない。そこで今回訪ねた場所についてまとめる。
 日月潭・・・台湾最大の湖、開発前はもっと小さかったが戦前の水源開発のため水位が上がった。このため複数の廟をを移築し文武廟をつくる。サオ族(邵族)の居住地でもある。
 赤嵌楼と延平郡王髭祠・・・いずれも台南にあり、前者は台南にオランダ人が築いた城跡、鄭成功が攻め落とす。オランダが築いたレンガ塀が発見されている。後者は鄭成功をまつる廟。戦前「開山神社」と改称される。神社として異国人をまつるのはめずらしい。戦後一度は取り壊されたが、再度中国式の祠として再建される。(鄭成功は明末清初に明を支持し抵抗運動をし、台湾に渡って鄭氏政権をつくった武将。母親が日本人である。)
 壽山・・・高雄港を望む高台、隆起石灰岩からなる。戦前「高雄神社」があったが戦後壊され忠烈祠などが建てられる。ただ神社関連の痕跡は複数見られ、特に太平洋戦争の開戦の記念碑は日本では見られないモニュメントである。
 九ふん(にんべんに分)・・・戦前に金鉱山として栄えたが現在では昔の面影を残す観光地として有名。悲情城市の撮影舞台でもある。昭和天皇(当時皇太子)が訪問予定をドタキャンして彼のため建てた貴賓室が現在も残されているそうである。