2014年3月9日日曜日

上福岡貝塚

 上福岡貝塚を見学する機会があったので簡単にまとめる。今から約90年前に発見された縄文前期の住居跡および貝塚からなる遺跡で、国の重要文化財にも指定されている上福岡貝塚出土片口土器で有名である。現地では7つの住居跡を見学した。家が拡張される様子、かまどの位置、廃屋になったあと貝塚にされる様子などを観察し説明を受けた。これらの住居は大きな環状の集落の一部である。また出土品のしじみ、バイガイ、カキ、ハマグリや縄文土器(黒浜式土器が主体、それ以外に段丘崖沿いに開山式土器と集落がみられる)、粘土製の網の錘などの見学や説明を受けた。ふじみ野市の教育委員会の学芸員の方に少人数で説明を受けたので、わかりやすく当時の人たちの社会や生活の一端をうかがい知ることができ面白かった。

ps 縄文土器の変遷
全体の形
 土器の形を古い順から並べてみると、最も古いものが平底土器で、次に尖底土器。そして、その後はまた平底へと戻っていく。
縄文とは
 小さな米粒のような形の連続した文様で、これは撚りあわせた細い縄を転がすことによってできる文様。
模様の変遷
早期・・・土器は細かい沈線や縄文によって平面的な文様構成
前期・・・
 花積下層式土器から開山式土器にかけて執拗なまでに縄文文様が極限状態に施される
 次の黒浜式土器は全面に縄文文様が施されるが、いたって単純な単節の縄文になる。
 次の諸磯式土器ははシノ竹の切り口を押しっけた小さな輪や、半分に割って切り目を押し引きした2本の平行線で構成された竹管文が現れる。
後期後半以降・・・縄目は細い繊維束でつくられたきわめて細かいものになり、あの隆盛をきわめた隆帯文は影を潜めて、その部分は1本の沈線になる。
 土器の表面には微粒な化粧粘土が塗られて、しかも丁寧に磨かれ、沈線も細く複雑化し、細かい縄文がつけられる。関東地方の堀之内式土器や加曽利B式土器、東北地方の亀ヶ岡式土器群はその典型。
2014-03-09

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