2015年1月2日金曜日

戦前の日本との関わり

 台湾を訪れるとどうしても戦前の日本との関わり合いを意識せざる得ない。そこで今回訪ねた場所についてまとめる。
 日月潭・・・台湾最大の湖、開発前はもっと小さかったが戦前の水源開発のため水位が上がった。このため複数の廟をを移築し文武廟をつくる。サオ族(邵族)の居住地でもある。
 赤嵌楼と延平郡王髭祠・・・いずれも台南にあり、前者は台南にオランダ人が築いた城跡、鄭成功が攻め落とす。オランダが築いたレンガ塀が発見されている。後者は鄭成功をまつる廟。戦前「開山神社」と改称される。神社として異国人をまつるのはめずらしい。戦後一度は取り壊されたが、再度中国式の祠として再建される。(鄭成功は明末清初に明を支持し抵抗運動をし、台湾に渡って鄭氏政権をつくった武将。母親が日本人である。)
 壽山・・・高雄港を望む高台、隆起石灰岩からなる。戦前「高雄神社」があったが戦後壊され忠烈祠などが建てられる。ただ神社関連の痕跡は複数見られ、特に太平洋戦争の開戦の記念碑は日本では見られないモニュメントである。
 九ふん(にんべんに分)・・・戦前に金鉱山として栄えたが現在では昔の面影を残す観光地として有名。悲情城市の撮影舞台でもある。昭和天皇(当時皇太子)が訪問予定をドタキャンして彼のため建てた貴賓室が現在も残されているそうである。

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