2015年8月29日土曜日

隠岐の歴史

 縄文時代から人が住む。古くから遠流の島として知られる。もっとも有名なのは後鳥羽上皇、後醍醐天皇である。
 後鳥羽上皇は鎌倉時代の初めに承久の乱で敗れ隠岐の中ノ島に流されここで一生を終える。隠岐には牛突きという闘牛の伝統があるかこれは上皇をなぐさめるため始まったとされる。
 後醍醐天皇は鎌倉時代の末に元弘の乱で敗れ隠岐の島後に流されたが、1年後脱出し権力の座に返り咲いている。
 江戸時代には島後の西郷港が良港であったため、北前船の寄港地となり各地の歌が残っているそうである。
 明治初め、隠岐騒動が起こる。これは松江藩の過酷な支配に反対して、住民がこれを追い出し島民自治を行ったものである。しかし、この騒動も明治政府が乗り出し1年弱で騒動は鎮圧された。隠岐にはほとんどお寺がない、かつては平安時代からの国分寺があったのだが、現在あるのは新しいものである。これは隠岐騒動の直後にあった明治政府の廃仏毀釈の際に島民の恨みが仏教施設に向けられ徹底的な破壊をうけたとのことである。

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